沈潜することで自我を癒す

ネット空間は、人との距離を保ちながら、情報が得られる便利なものですが、沈潜をしにくくさせるものでもあります。自分がネット空間に依存していると思う人は、一日数十分から、インターネットをオフにする時間を持ってみましょう。そうして、自分一人の世界に没頭する時間を作るのです。海の中の深い世界に潜り込むように、完全に周囲の雑音をシャットアウトして自分一人の世界に浸るイメージです。

お金を生み出すだけではなく、時間を使って気持ちを紛らわしていくことも、生きていく上での大事な仕事といえます。沈潜する時間を持つことによって、さまざまな人間関係の中で疲れ気味な自分を、リフレッシュさせることができます。もし自我が傷つきかけているなら、その傷を修復して癒すこともできます。

傷つきにくくなれば、さまざまな人と適切な距離を取りやすくなり、さまざまな人と、心の通った濃厚な交流ができるようになります。心の通わない交流は人を疲れさせますが、心の通った交流は人に安らぎと良い刺激を与え、その人を元気にさせます。一見矛盾しているようですが、豊かな人間関係を築くためには、他者との交流を断つ時間も必要です。

哲学者ニーチェに学ぶ、他者と距離を置く「沈潜力」

哲学者ニーチェは、代表作『ツァラトゥストラ』(丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫)の中で、こう書いています。「孤独のなかへ逃げろ! みじめな小物たちの、あまりにも近くで、君は暮らしてきた。目に見えない連中の復讐から逃げろ! 君にたいして連中は復讐しかしない。連中に手をあげるのは、もうやめろ! 連中は無数にいる。ハエたたきになるのは君の運命じゃない」

「みじめな小物」とは、他人の批判に明け暮れているだけの人間で、そういう人間たちが群れとなって自分の周りでブンブンと蠅のようにうるさく言ってくると、つい蠅を叩くように相手に反応してしまいがちになります。

しかしいちいち他人に反応していては、集中力が散漫になる原因になります。そういう意味をこめて、ニーチェは「ハエたたきになるな」と言っているのです。ニーチェ自身、孤独な中で思索を深め、後世に大きな影響を与える著作を何冊も完成させました。

『ツァラトゥストラ』が書かれた1880年代はニーチェにとって、大失恋、深刻化する病気、心酔していたワーグナーとの葛藤があり、さらに自身の思想が世の中に受け入れられず、著作も売れないという、過酷な状況でした。

どん底の中で、ニーチェは思索を深め、現代にも影響を与える優れた思想を生み出していったのです。孤独というと人との関係が絶たれたニュアンスがありますので、集中する時間をもつという積極的な意味をこめて「沈潜する」ことをお勧めします。

コミュニケーションがうまいことと沈潜することとは、矛盾するように見えるかもしれませんが、自分の中に誰も侵すことができない領域を作るためには、深海魚になる時期が必要なのです。