LINEの友だち登録200人の大学生に聞く「本当の友達の数」

大学生にLINEで友達登録している人は何人いるのかを訊ねると、「200人程度」という答えが多く返ってきます。これが平均的な若者の姿のようですが、その全員が友達と呼べる関係とは到底思えません。そこで「本当に打ち解けられる友達は何人いるのか」と訊ねてみると、3〜5人という声が多く聞かれました。そうなると200人のほとんどは、それなりに気を遣わなければならない相手です。

そういう相手との付き合いは、忍耐力のいるものです。相手の気分を害さず、悪く思われないようにと神経を遣います。思うような反応がないと傷つきますし、反応があったらあったで、今度は「さらに返信すべきか」「いつどう返信すべきか」と、また悩みます。

メッセージやおしゃべりは必ずしも悪いものではありません。良い気分転換になりますし、私も大好きです。しかし頻度が多く、継続時間が長いと、泥沼にはまり込み、抜け出しづらくなります。

現代人を次から次に襲う情報の嵐

日常的にやりとりする相手が増え、間隔が短く且つ頻度が高くなると、間が取りづらいなど、心をざわめかせる要素がたくさん出てきます。一言でいえば、現代は「心のざわめきが止まらない時代」なのです。

「明鏡止水」は、雑念がなく(明鏡)、静かに落ち着いて澄みきった(止水)心を意味する四字熟語ですが、現代人の心の水面にはこれと逆に、次々と情報が入り、止水になる隙がなく、常に雑念が生まれる構造になっているのです。

人に言葉を掛け/掛けられるたびに、心に波紋が広がります。その波紋が消えたら、また石が投げ込まれて波紋が広がる。どっぷり浸ると、湖面に常に石が投げこまれ、数多くの波紋が広がって波紋同士が干渉し合っている状態が生じます。

日々のやりとりに時間とエネルギーを取られ、他のことが手につかない状態はまさに「心のエネルギーの漏電状態」です。それがもたらす最も大きな弊害は、自我が侵食されることです。そのため、コミュニケーションの良さを享受しながら、弊害を解消する方法を考えなければなりません。

本来喜びであるはずの他者との関わりが、ストレスに感じてしまうワケ

1880年代に精神分析学を打ち立てたジークムント・フロイトは、人間の精神構造は「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」の三層からなっているとしました。

イドは、人間の無意識からわき起こる欲動(欲への衝動)です。しかし、人が皆イドだけに従って生きていると社会が成り立ちません。社会にはルールや道徳などの規範が必要です。人間は、幼少期に主に親を通じて行動規範意識を身に付け、社会からも影響を受けながら人格が形成されていきます。個々人が、社会に適応するための行動規範を自分なりに身に付け、形成された意識が、スーパーエゴです。

無意識から出る「〜がしたい」という欲動と、社会からの影響で身に付けた「〜をすべき」というスーパーエゴのバランスを取って、「自分」を成り立たせているのがエゴ(自我)です。エゴというと「エゴイスト」とか「自己中心的」のニュアンスが強く、良い印象を持たない人が多いかもしれません。しかしエゴ(自我)は人が生きていく上で必要なもので、これが不安定になると社会生活に支障が出ることもあります。

エゴは、他者とのコミュニケーションによって侵食されることがあります。基本的に他者とのコミュニケーションは人の気を循環させ、生命のエネルギーを高めていくものですが、それがうまくいかないと自我が侵食されて傷つきやすくなります。その結果、人と交わりたくないという気持ちが生じるのです。