現代人を苦しめる「承認欲求」への対処を19世紀に描いたロシアの文豪

人には、「今はどうしても人と関わりたくない」と強く思う時期がしばしば訪れるものです。そんな時にお薦めしたいのは、ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの作品、『地下室の手記』(江川卓訳、新潮文庫)です。

主人公は世の中を疎んで、ある時からずっと地下に潜って生活し始め、独自な世界観を構築します。ドストエフスキーはこの小説を書き上げたのち、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などの代表作を生み出すことになり、『地下室の手記』は重要な転機となった作品です。

じっくりため、育み、熟成させるプロセスを経た表現が、斬新で深みのあるものになったのです。「ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ」と、絶望的な表現からこの小説は始まります。

「ぼくは意地悪どころか、結局、何者にもなれなかった」40歳の主人公は、極端に過剰な自意識の持ち主で、一般社会とうまく関係が切り結べない男です。小官吏だったのですが、今は無職で社会との関係を断ち切って、人間関係が苦手なので、地下室に入り込んだような感じで生きています。そして自分自身について語り始めます。

人にはこの主人公のように、心がくすぶってしまう時があるものです。ドストエフスキーは19世紀の作家ですが、先見の明がありました。自分の内にこもりたいという欲求が強まる時代には、「心の中に地下室を持つ」ことをお勧めします。

八方ふさがりの自身の状況をとことんまで客観的に見つめると、不安定な状態が逆転し、強度な自意識の存在に辿りつくことがあります。この主人公は、リラックスして人に会うことができません。他人が自分を低く見ているんじゃないか、と思ってしまう、自意識の病があるのです。

承認欲求というものは肥大していくので、最初は小さくうっすらと芽生えた感情が、「少しでも馬鹿にされると嫌」と育っていってしまうものです。そして、傷つくくらいならいっそ他人と交わらないという方向に次第に閉じこもってしまいがちです。

「自分は、他の人間と違う」という膨れ上がった自尊心にはまる時期は、若いうちには往々にしてあるものです。その時は、自分にとって安心できる心の地下室を作って、そこでの充実度を高めてみてはいかがでしょうか。

SNS時代を生きる現代人が孤独に没頭するには

誰とも交流しない地下室生活は、現代生活では簡単ではありませんし、不健康なことですが、通常よりは人との交流を減らし、物事に集中する時期、読書や勉強、創作などに没頭する時期も、人生の中で一度は必要だと思います。

一方、そういうプロセスを経ていない表現は、少量の水を入れてはピュッピュッと出している水鉄砲のように、弱々しい薄っぺらなものになるでしょう。どんな分野でも、大成しようと思うなら、孤独に没頭する時期が必要です。

その時代をくぐり抜けると、何か衝撃があった時にも、自分が戻れる地下室、すなわちシェルターがあることが、安全弁になります。ただし、本気で他人とかかわること自体を拒否した場合、その世界から出られなくなるリスクがあります。

あくまでも内省は一時的なものとして、そこから出る日を自分で思い描きながら、自分なりの「地下室」でとことん思索をしてみるのです。ハードに閉じこもる場を持つことで、外に対して柔らかくなることができるなら、こもることも選択肢に入れるべきです。人は、逃げ場がないと苦しいものです。

齋藤 孝

明治大学文学部教授