年をとるほどお金を持っていることの価値が減っていく

中でも、いちばん変えなければいけないのはお金に対する考え方です。「老後2,000万円問題」といって、令和元年に金融庁が「老後の暮らしには2,000万円の貯えが必要になる」みたいなことを言ったために、お年寄りはせっせと貯金に励むようになりました。

しかし、これは私が長いあいだ老年精神医学をやっていて気づいたことですが、年をとって歩けなくなったり、寝たきりになったり、認知症がひどくなったりすると、人間って意外にお金を使わないですむんですよ。

家のローンも払い終わったし、子供の教育費もかからない。歩けなくなったりボケたりしたら、旅行に行く気も起こらないし、高級店で食事したいともあまり思わない。だから、特別養護老人ホームに入ったところで、介護保険を使えば年金の範囲でだいたい収まるんです。

そうしたら、貯金なんかする意味がなくなるわけですよ。老後の蓄えがないからって、頑張って貯金なんかすることなかったな、と悔やむことになる。

要は年をとればとるほど、お金を持っていることの価値が減ってくるわけです。というのは、現在の法律でいくと、たとえば献身的に介護してくれた娘と、何もしないでほったらかしにしていたバカ息子がいたとしても、遺産相続は平等です。

遺言を書いたって、その内容に関係なく、遺留分といって、配偶者や子供などの法定相続人には法律で定められた遺産の取得分が最低限保障されているので、何もしてくれなかった子供も同じように遺産を相続できるわけです。

ここで大事なのは、実はお金を持っていても幸せな晩年を送れるわけではないということです。私はこれを「金持ちパラドックス」と呼んでいます。

たとえば奥さんが先に亡くなってしまい、その後、近所の小料理屋の女将と仲良くなって、再婚して晩年を共に暮らそうと決めたとします。これが財産のない家であれば、子供たちも「お父さん、よかったじゃない。幸せになってね」と祝福してくれるでしょう。介護もその女性がしてくれるだろうし、誰も反対しません。

ところが、億単位の貯金があるとか、家を売ったら少なく見積もっても2億になるとかいうことになると、「そんなの財産目当てに決まっているじゃないか。あんな女と結婚するなんて、僕たちは絶対に許さないからね!」と反対されて、結婚もままならないことだってあり得るわけです。

だから、財産を持っていたところで、逆に子供たちのいいようにされてむしろ不幸になるケースも少なくない。

仮に認知症になってしまって、子供たちに成年後見制度というのを使われてしまうと、自分で買いたいものがあっても買えなくなります。財産の処分はすべて後見人である子供が行うという制度ですから。結局、財産なんか残したところで、晩年に子供たちが大事にしてくれるとは限らない。

それから、よくある話だけど、もう家を売って高級老人ホームに入ることにしたとしましょう。その場合、老人ホームというのは原則的には所有権じゃなくて、亡くなるまでの使用権なんですね。だから、5億円の老人ホームを買っても、毎年だいたい10年償還のところが多いから、10年経ったら財産価値はゼロになるんですよ。

そうすると、相続できる遺産が5億減っちゃうわけだから、高級老人ホームに入りたいと言っても子供たちに反対されることもけっこうある。

結局、自分のために財産を残しておいたとしても、子供たちの出方によっては自由に使えず、幸せな老後を送れるとは限らないわけです。だから、年をとったら、お金というものに対しての考え方を改める必要がある。