仕事を引退して自由な時間を手に入れたシニアの中には、暇を持て余している方もいるかもしれません。新しい趣味を始めたいけれど、体力面や経済面でなかなか踏み出せない方もいると思います。それでも何かしら趣味を持ったほうがよいのでしょうか? 今回は、小川仁志氏の著書『60歳からの哲学 いつまでも楽しく生きるための教養』(彩図社)より、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872~1970)が著書『幸福論』の中で「幸福になる方法として趣味を持つことが大切である」と語った理由について解説します。
苦しみから抜け出すために趣味を持つ
三つ目の効用は、なんと悲しみを紛らわせるということです。私にとってこれは一番意外で、それでいて一番納得のいくものでした。例えば、愛する人が亡くなると、人は悲しみに打ちひしがれます。しかし、いつまでも悲しんでいると余計に苦しくなります。そんな時、何か自分の気持ちを外に向ける趣味があれば、心のバランスを取ることができるというのです。
つまり、悲しみから目をそらす契機が必要なのです。ラッセルは、趣味を持つことを生きる知恵として捉えているのでしょう。人間は弱い生き物ですから、苦しみから抜け出すためには、趣味に限らず何かのきっかけが必要です。
何もないと私たちは主観の穴に閉じこもってしまって、そこから抜け出せなくなるのです。まったく外に目を向けることなく、自分の思い込みだけにとらわれてしまう状況です。ラッセルはその状態を自己没頭と呼んで非難しました。
彼のいう自己没頭は、不幸の原因なのです。幸福になるためには、主観の反対で客観的な生き方が求められるというわけです。それを可能にするのが、趣味にほかなりません。しかもラッセルは、その趣味は「本物の客観的な興味」でなければならないといいます。いったいそれはどうすれば得られるのか? ラッセルはこう答えています。
つまり「客観的な興味」というのは、他人の興味に自分を合わせるのではなく、自分の中に自然に湧き上がってきた本当にやりたいことや、本当に知りたいことについての興味です。その興味に従って生きるというのが、客観的な生き方ということです。
その意味では、趣味は探すものではないのかもしれません。私たちはつい趣味を探そうと躍起になりますが、それでは本物とはいえないのです。むしろ好きなことが高じて初めて、結果として趣味になるのでしょう。そうでないと、気持ちを外に向けることは困難です。打ち込めるものは、やはり自分の好きなことであるはずですから。これこそが本物の客観的な興味にほかなりません。