アランの『幸福論』から学ぶ「病を遠ざける方法」

生きていくうえで、あらゆる病気を避けるのは無理なことです。それに年老いていけば、病気を抱えることも多くなるでしょう。病気になれば身体の痛みやだるさを感じるだけでなく、行動を制限され、治療に気を使わなければいけなくなります。なんとか病気に抗う方法はないのでしょうか? 

フランスの哲学者アラン(1868~1951)いわく、それは「上機嫌でいること」です。気の持ちようで、病気を防いだり、苦痛を和らげたりできるというのです。彼の著書『幸福論』から、病を遠ざけるすべを学んでいきましょう。

「上機嫌」が病を退ける

病気は基本的にネガティブなものです。それに、病気は誰もがなるものです。もちろん、病気には軽いものから重いものまで、罹患する期間も短かったり長かったりと様々あります。また治ったと思っても、何度も繰り返し病気になることだってあります。そういう違いはあっても、誰もが病気になってしまうのはなぜでしょうか?


それは人間だからです。つまり、繊細な身体を持った存在だからです。もしスーパーマンのように完璧な身体だったら、病気のつけ入る隙はないかもしれません。でも、人間は違います。内臓も筋肉も、ちょっとしたことで痛くなったり、菌に侵されたりするのです。

しかも、多くの場合、病気の原因は自分の外部にあるものではありません。とりわけアランはそう考えています。


病気の最大の原因は何なのか? それは恐れである。アランはそう明快に答えています。

不安と恐怖とを生理的に、詳細に研究すれば、不安も恐怖も病気であって、しかも他のいろいろな病気に加わり、さらに病気の進行をはやめるのもわかるだろう。(『幸福論』岩波文庫、P30)

つまり「不安や恐怖が病気を引き起こしている」というのです。受験生が突然腹痛にみまわれるのはその証拠だといいます。

また、テバイドの隠者と呼ばれる初期キリスト教徒たちは、死を望むことで結果的に長寿の人生を送ったといいます。何の恐れもなければ病気にならないので、死を恐れないことで、かえって健康でいられたということです。


病気の方が恐れをなして逃げて行ったのかもしれません。これは冗談ではなく、よく医者がいう言葉です。危篤状態になったような時、医者はこういいます。「最後はご本人の気力です」と。これは気持ちが病を退けることの証ではないでしょうか。


だから病気になりたくなければ、何事も恐れないどころか、もっと積極的に上機嫌でいればいいとアランはいいます。彼はそれを治療法と呼んでいます(正確には予防法なのでしょうが)。さすがは不撓不屈の楽観主義者を自認するだけあって、医学に関する考え方も徹底しています。


でも、これもまた理にかなったものではあります。普通なら腹の立ちそうな場面でも、上機嫌になることでイライラせずに済みます。それが病気を遠ざけるというのです。ストレスは万病の元といいますから、案外事実なのかもしれません。そういえば、笑いが長寿に影響するという話をよく耳にします。


アランはこんな喩えもしています。内臓をマッサージできればいいが、それは無理だろうと。でも、喜びは内臓のマッサージみたいなものだというのです。しかもそれはどんな医者にもできないマッサージだと。

たしかに医者は喜ばせるのが仕事ではなく、むしろ不安を突きつけてくる一面もあります。病院に行くのがつらいというのは、私たちが病院や医者を不安と結び付けてしまう想像力が災いしているのだと思います。