困難な事態に直面したとき、私たちはどう乗り越えたらいいのでしょうか。現役住職で著者累計100万部を超えるベストセラー作家の名取芳彦氏が、困難に直面している全ての人に捧げる、一休さんが最期に弟子たちに遺した、遺言のエピソードを教えてくれました。
どうにもならない事態に直面したら読みなさい…「一休さん」が弟子へ遺した「最期の言葉」【現役住職のベストセラー作家が解説】
「順境もよし、逆境もまたよし」…どんな境遇も“自分磨き”の材料
仏教流「成功のレシピ」
一人の人間が二千五百年ほど前に、三十五歳で悟りを開いて仏になりました。仏になれた理由には二つの説があります。一つは輪廻しながら長期間修行を重ねた結果とするもので、スリランカやカンボジア、タイなどで信じられている上座仏教の考え方です。もう一つが、中国を経て日本に入ってきた大乗仏教の考え方で、悟らせる力が働いたとするものです。
正確さを少し犠牲にして説明すると、お釈迦さまは三十五年の人生の中で見聞きし、経験したことすべてを材料にして、いつでもどんなことが起こっても心おだやかな悟りの境地に入ることができたとします。材料になったのはやさしさや勇気、決断力や行動力、裏切りや妬み、失敗などです。
その材料は今でも私たちの周りにそろっているので、仏教というレシピに従ってそれらを使えば、私たちも悟りを開けるとします。お釈迦さまに限らず、多くの成功者たちも自分が経験したことを材料にして功成り名を遂げたのでしょう。
順境も逆境も、すべて成功の材料になります。順境でも調子に乗らず、逆境でもへこたれず、自分磨きの材料にしていきましょう。
「仕事は『無常』だからこそ、今がんばる価値がある」…仏教が説く「原因と結果の法則」
蒔かない種は、咲きません
日本には四季折々、変化を楽しめる自然があります。冬枯れの木立から新緑を迎える中で、梅、桃、タンポポ、桜、雪柳、アジサイ、サルスベリと、バトンを引き継ぐように花々が咲き、その季節ならではの農作物も競うように店頭に並びます。
こうした情景をただニコニコして見ているだけではもったいないと思います。私の好きなことわざに「蒔まかぬ種は生えぬ」があります。[原因がないのに結果の生ずるはずはない。何もせずに好結果を期待しても無理である](『広辞苑』)という意味で、仏教が説く“縁起”と同じと考えていいでしょう。これと反対の意味のことわざに「果報は寝て待て」がありますが、私の先輩は「あれは噓だ。“果報は練って待て”だ」と教えてくれました。
春に新芽が出るのも、花が咲くのも、冬に準備していたからです。店頭に並ぶ作物にも蒔かれた種があったのです。一つの準備が姿を変えて現れた結果とも言えます。これは仕事の上でも同じでしょう。今のがんばりという種がいつか形を変えていい結果として実を結ぶのですから、がんばる価値はあります。蒔かない種は咲きません。