「変わらないものなど何一つない」…変化を受け入れる

「無常」を忘れたとき、心が乱れる

『平家物語』の冒頭のフレーズとして有名な「諸行無常」。これは、仏教が説く「もろもろの作られたものは同じ状態を保たない」という事実を表わす言葉です。

すべての物事は、さまざまな縁(条件)が寄り集まった結果として生じます。集まってくる縁は、加わったりなくなったりして次々に変化するので、その影響を受けて結果も次々に変わります。

体を動かすのが縁になって空腹になり、空腹を縁にして食欲が生まれます。そこに過労や心労による消化器系不調の縁が加わると、食欲不振という結果になります。さらに、親のやさしさという縁が加わると、実家からレトルトのお粥が届いたりします。

このように、縁の変化にともなって結果が変わるのは至極当然のこと。にもかかわらず仏教が「諸行無常」を説きつづけるのは、こうした「変わらないものは何一つない」という事実を私たちが忘れ、変化に対して心が乱れることが多いからでしょう。

もし同じ状態がつづくのを望むなら、集まってくる縁に対して次々に手を打たなければなりません。それができないなら、変化を楽しむ心を持っていましょう。

「『矛盾』を当たり前として生きる」…そのほうが、ずっと心がラクになる

こんな「思い込み」は捨てること

社会心理学者のメルビン・ラーナーが一九六〇年代に発表した理論に「公正世界仮説」があります。「世界は、良いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがある」という思い込みのことです。

努力すれば明るい未来が開けるという思い込みは、受験勉強や自己投資など、前向きな生き方の原動力になります。しかし、公正世界仮説を無条件に信じていると、難病になったのは本人(あるいは先祖)が何か悪いことをしたからという理論が成り立ってしまいます。他にも、新型コロナ感染症のパンデミックを、人類の自然破壊や「正しい教え」に従わない報いと説明するカルト教団の言い分も通ってしまうなど、危険な面もあります。

世の中の矛盾についても、「矛盾があるのはおかしい」と信じて疑わない人がいます。しかし、「人はかならず死んじゃうのに、どうして生まれるの」といった子どもが抱く素朴な疑問を始めとして、この世には矛盾が佃煮にできるほどあります。それを当たり前のこととしてとらえ、楽しんだほうが、ずっと心軽く生きていけます。