吉高由里子さんが主演する大河ドラマ『光る君へ』(NHK)が放送中です。物語は、吉高さん演じる、のちの紫式部“まひろ”と柄本佑さん演じる藤原道長の間の特別な絆を軸に進んでいきます。道長は、父・兼家の計画によって、兄である道隆と、その娘の定子の傘下に入ることに。それは雌伏のときの始まりでした。本稿では、平安文学研究者の山本淳子氏による著書『道長ものがたり』(朝日新聞出版)から一部抜粋し、国の全権を支配するために策を巡らせた兼家・道隆の思惑に迫ります。
天皇の元服→定子の入内→藤原道隆の摂関就任…異例の〈スピード展開〉のウラにあったそれぞれの思惑と「中関白家」短くも絢爛たる栄華の始まり
一条天皇の寵妃となった定子
こうして、教養のみならず華やかさにおいてもお茶目さにおいても、きわめて女房に近い価値観と行動様式を持った妃が誕生した。知性にあふれつつ、親しみやすく、一緒にいて楽しい。定子は自信に満ち、そのオーラは内気な少年だった一条天皇の心をわしづかみにした。一条天皇のまさに寵妃となったのである。
5月5日に関白となった兼家は、その3日後に出家して政界を引退、次いで道隆が関白に就任した。「摂政」と「関白」はかなり異なる。摂政は天皇が元服前や病気で政務に当たれない時に、天皇代行として置かれ、権力をほぼ独占する役職。いっぽう関白は成人した天皇のもとに、その助言役として置かれる役職である。
今回の場合、一条天皇は元服して大人になっているのだから、道隆が関白に就任するのは当然だった。ところが彼はひと月も経たぬ5月26日、摂政に転じた。おそらく11歳の天皇は、やはり摂政が必要なほど幼かった。加えて道隆に、自ら全権を掌握したい欲望があったのだろう。
本来なら、天皇の元服と定子の入内、道隆の摂関就任は、まず兼家から道隆への摂政移譲、天皇の成長を待ち元服、次いで定子の入内という順序で、数年の時間をかけて行われるべきことだった。にもかかわらず、兼家の病の進行という都合、道隆の権力欲という我意によって、彼らはことを急いだ。かなり強引で恣意的であったと言わざるを得ない。
7月2日、兼家は亡くなった。享年62。その死を受けて、道隆一家「中関白家」の短くも絢爛たる栄華が始まった。次弟の道兼も、また末弟の道長も、それぞれの思惑を胸に抱きつつ、雌伏の時を過ごすこととなった。
山本 淳子
平安文学研究者