ダイムラー・クライスラーの“結婚”と“離婚”

ベンツといえば、自動車を発明したドイツ企業であり、かたやクライスラーは米ビッグ3のなかで、GMやフォードよりも先端技術を貪欲に採用する老舗だ。しかしビッグ3のなかでは最も小さく、日独の輸入車にシェアを奪われ続けた。

84年にミニバンを登場させ、このジャンルを切り拓いたボイジャー(一部は三菱エンジンを搭載)がヒットし、クライスラーは経営を立て直すことができたが、GMはすぐにアストロを登場させ、クライスラーを押しのけて王道に君臨した。

フォードから移籍したアイアコッカの指揮下、クライスラーは87年にAMCを買収してJEEPブランドを手に入れ、順調に思われた。しかし90年代に入って三菱との北米合弁を解消するなど、再び不調に陥った。単独では生き残れない、との判断の下、日産を押しのけ、ベンツと電撃提携した。

98年、乗用車においては世界6位、商用車では世界一のダイムラー・クライスラーが誕生した。ドイツ南部シュトゥットガルトと米ミシガン州オーバーンヒルズにそれぞれ本社を置き、「世紀の結婚」と騒がれた。

ベンツは94年、スイスの時計会社スウォッチとコラボし、98年に二人乗りの超小型車、スマートを登場させていた。一般的な車が路上駐車する際の車幅(2メートル前後)に収まる全長のスマートは、オートバイのように車と車の間に頭を突っ込んで路駐することができ、画期的だった。対抗してトヨタは2008年、ほぼ同じ大きさの4人乗り(!)iQを登場させた。

出所:『自動車の世界史』(中央公論新社)より抜粋
[写真1]スマート 出所:『自動車の世界史』(中央公論新社)より抜粋

スマートはかねてより小型車のラインアップがなかったベンツの肝いりだったが、時代を先取りし過ぎたのか、あるいは急旋回中に横転を喫する安全性の問題か、07年まで販売不振で赤字事業だった。リコールの結果、横転はしなくなった。

スマートだけではない。ベンツは97年に同社最小となるAクラスを登場させたが、日独仏伊の小型車よりも車内は狭く、初代はスマートと同様、ダブル・レーン・チェンジ(急ハンドルを切った後、車の姿勢が安定しきれていない内に逆向きに急ハンドルを切る、2連続の回避行動)で横転するクセがあり、リコールとなった。すぐに修正されたが、室内空間の改善は、一回り大きくそっくりな外観のBクラスに託された。

大きなアメ車を得意とするクライスラーの吸収合併が、どれほどベンツの小型車作りに貢献できたのか定かではない。2007年、ベンツはクライスラー株の大半を売却し、「離婚」が成立した。放出されたクライスラーを08年のリーマン・ショックが直撃し、翌年、裁判所に破産法適用を申請した。公的資金が注入されたすえ、今度は伊フィアットの傘下に入った。

合併劇と同1998年、映画『タクシー』が公開されている。フランス人監督リュック・ベッソンがつくったこの作品には、白いプジョー406のタクシーとドイツ系強盗団の赤いベンツ500E2台が登場し、マルセイユの街中でカーチェイスを繰り広げている。独仏ツーリングカー選手権車のバトルだが、『タクシー』は世界の名車100台以上がエキストラとして劇中に登場する、凝った作りの映画だった。

出所:『自動車の世界史』(中央公論新社)より抜粋
[写真2]プジョー406 出所:『自動車の世界史』(中央公論新社)より抜粋

そのなかで筆者が確認できた日本車は、マツダ・ロードスター、ホンダ・アコード、トヨタ・ランドクルーザーだ。2000年公開の第二作には、カルロス・ゴーンにそっくりの仏人将軍、仏ジャック・シラク大統領本人に並び、漆黒の三菱ランエボⅣ(千葉ナンバー)が3台編隊で登場する。