90年代後半、戦後積み重ねてきた日本的な車づくりの総決算として、ハイブリット車が登場します。それは、「省燃費車は遅い」と言われていたなかで、ガソリン車と同じ速度が出すことができ、かつガソリン消費を少なくすることを実現した、画期的な技術でした。自動車評論家である鈴木均氏の著書『自動車の世界史』(中央公論新社)より、詳しく見ていきましょう。
【20世紀末に登場した2大ハイブリッド車】〈トヨタ・プリウス〉はハリウッドスターに愛され、〈ホンダ・インサイト〉は西海岸のサーファーから絶大な支持を得たワケ
ハイブリッド車の登場
90年代の再編劇を経て消え去った伝統があった一方で、来たる21世紀を感じさせる、新しい車たちが登場した。ハイブリッド車(HV)である。
エンジンの出力をモーターでアシストする発想は、日本で初めて生まれたものではない。イギリスのアーノルド・ベンツは世界で初めてエンジンに電気式スターターを搭載した際(1897年)、これを登坂時のアシストにも使った。このようなアシストを効率的かつ確実にオペレートする部品群の組み合わせこそが、トヨタ・プリウスやホンダ・インサイトが提案した、日本独自の発見である。
1997年、初代プリウスが鉄腕アトムと共にCMに登場し、「21世紀に間に合いました」とうたった。プリウスは直4エンジンが58馬力を発生し、41馬力のモーターと状況に合わせて交互に駆動力を伝え、当時の同じ排気量のエンジン車の2倍近い好燃費を記録した。バッテリーは現在のようなリチウムイオンではなくニッケル水素で、車両価格215万円という、当時のカローラより少々高額な設定だが、それでも出血大サービスの値段だった。普及を優先したからだ。
当初は売れ行きが伸び悩んだプリウスだったが、黒柳徹子が購入して話題を呼ぶなど徐々に注目が集まった。海の向こうではハリウッドスター、特にレオナルド・ディカプリオが2005年のアカデミー賞授賞式にプリウスで乗りつけ、注目を集めた。
ディカプリオはその後もEVのテスラ・モデルS、PHEV(プラグイン・ハイブリッド車)のフィスカー・カルマの初号機、ハイブリッドのボルボXC60やポルシェ・カイエンS、クライスラー初のPHEV、パシフィカなどを乗り継いでいる。歴代プリウス愛用者としては、他にキャメロン・ディアス、サラ・ジェシカ・パーカー、ナタリー・ポートマン、オーランド・ブルームなどが知られている。なおその後、黒柳徹子はいち早く水素で走るFCV(燃料電池車)の初代MIRAIのオーナーとなったことでも有名になった。