保守と革新の違いは、人間を賢いと考えるかどうか

フランス革命は「自由、平等、友愛」という理念を前面に打ち出し、何でも理性的に考えようとしました。例えば、1日が24時間というのは計算がしにくいと考えて、1日を10時間にしました。1時間が60分というのも計算しにくいから、1時間100分にしました。1分も100秒です。これが「革命暦」で、1805年まで使われました。

これに異を唱えたのが、連合王国のエドマンド・バークです。バークは、平たくいうと「人間は愚かやで」と考えました。「愚かな人間が愚かな頭で考えたものなんか使いにくいで」ということです。だから、今までやってきたことは不都合がない限り、変えなくていいということです。賢くない人間が頭で考えたことなんて信じない。自由、平等、友愛みたいな理念も信じないということです。

バークによって近代的な保守主義が始まります。「保守」とは何かというと、今あるものはとりあえずそのままにして、困ったことが起きたら変えればいいという考え方です。これが保守の根源です。

保守と対置される「革新」とは、「人間は勉強したら賢くなる」と考えます。だから、「何でもきちんと考えて決めた方がいい」ということです。フランス革命の理念がその典型で、「きちんと考えたら1日24時間より10時間の方が計算しやすいじゃないか」というわけです。革新というのは、特に困っていなくても、理性で考えておかしいなら変えていこうという考え方です。これが本来の「保守対革新」の意味です。

フランス革命が生み出した「想像の共同体」

フランス革命は、人類の歴史のなかで非常に影響が大きい出来事でした。例えば右翼、左翼といういい方も、フランス革命のときの議会で、保守的な人たちは議長席から見て右に、革新的な人たちが左にそれぞれ座っていたというのが起源です。メートル法もフランス革命の産物です。保守と革新というイデオロギーもフランス革命から生まれていますし、そして何より国民国家です。

私たちはみんな、自分は日本人だと思っていますよね。でも、江戸時代には日本人という概念はなかったのです。薩摩の人は「殿様は島津様だから、俺は島津の人間だ」と思っていたわけで、日本人などという発想は誰にもなかったんです。

ネーションステート、すなわち国民国家は「想像の共同体」です。だって、顔も名前も知らない人たちのことを、「同じ日本人だ」「だから仲間なんだ」と思っているわけでしょう。しかも仲間の日本人は皆、理屈のうえでは自由で平等なのです。だからこそ僕らは、顔も名前も知らなくとも、同じ日本人が戦場で亡くなれば深く悲しみ、オリンピックで活躍すればわがことのように歓喜します。それは僕らの頭のなかに「日本人の国」という想像の共同体があるからです。

これが国民国家の強さですが、その誕生はフランス革命に遡ります。

連合王国の強さを見抜いたナポレオンは、エジプトに向かう

ナポレオンはエジプトに遠征します。なぜかというと敵対するヨーロッパの国々のなかで、一番しぶといのは連合王国だと見抜いていたからです。プロイセンやオーストリアやロシアも強敵だが、勝てる。でも、連合王国を負かすのは難しい。じゃあ、一番しぶといイングランドの心臓部はどこかといえば、インドだということを、ナポレオンはわかっていました。連合王国が強いのは、インドから富を吸い上げているから。だから、インドとのつながりを断とうとエジプトに遠征しました。

さらにアフガニスタンのドゥッラーニー朝や、南インドで東インド会社と戦っているマイソール王国にも、手紙や使者を送って、「今こそ連合王国を追い出そう」と呼びかけています。インドを南北から圧迫して、自分はエジプトから乗り込むという、大戦略を練ったのですね。これは決して荒唐無稽な話ではなくて、考え抜かれた戦略です。ナポレオンが軍略家として素晴らしい才能を持っていたことは間違いありません。

出口 治明
立命館アジア太平洋大学(APU)
学長特命補佐