世界史について「断片的な知識ならあるけれど…」という人も多いことでしょう。しかし、世界史を学ぶ際には、「歴史を“ひとつながりの物語”と捉えて、一気通貫で理解するほうがいい」と、立命館アジア太平洋大学(APU)前学長である出口治明氏は言います。出口氏の著書『一気読み世界史』(日経BP)より、18世紀に世界各国で起こった領土の奪い合いや王位継承を軸に、世界の流れを把握し、理解を深めていきましょう。
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「人頭税」を廃止した中国の人口が激増する
一方、中国の清は最盛期を迎えていました。
清の康熙帝の子どもの雍正帝はワーカホリックで、めちゃ仕事を頑張りました。どれくらい頑張ったかというと、奏摺(そうしゅう)という報告書を1200人くらいの役人と交わしていました。1200人の幹部と毎日、メールをやりとりしているような感じです。報告書を読んだら、朱字を入れます。「これはあかん」「これはよくやった」「今度、こんなことをしたらクビだぞ」などと。だから、睡眠時間が3時間くらいしかなかったともいわれています。
雍正帝は、税制も変えました。
中国の税金はもともと銀がベースでした。昔から陶磁器やお茶、絹といった世界商品がたくさんあって、その代金として世界中から銀が集まる中国だから、できたことです。
雍正帝の先代の康熙帝は、地丁銀制を導入しました。地税の「地銀」に、人頭税の「丁銀」を繰り込み、一括して銀納するという仕組みです。そして丁銀の額は固定化されました。
雍正帝は、さらに踏み込み、人頭税の「丁銀」を廃止します。つまり、地銀制にしたのです。土地や資産をベースに課税して、銀で納税するという仕組みです。
人頭税を廃止すると、中国の人口が急増しました。なぜかというと、人頭税の時代には、人の数が多いほど税金が増えるので、みんな子どもの数などを隠していたわけです。逆に、人頭税がなくなったら「正直に報告しようか」となったわけです。いかに税金というものが社会を変えるかがわかります。
出口治明
立命館アジア太平洋大学(APU)
学長特命補佐