平成元年である1989年は、今も語り継がれる、多くの「名車」が誕生した年でした。その背景には、当時の日本の社会情勢が色濃く反映していたと、自動車評論家である鈴木均氏は言います。鈴木氏の著書『自動車の世界史』(中央公論新社)より、平成初期の自動車産業について見ていきましょう。
当時で〈1台800万円〉のホンダ「NSX」、日産〈シーマ〉、マツダ〈ロードスター〉…日本を代表する〈名車〉の誕生が「平成元年」に集中した“特別な事情”とは【歴史】
なぜ平成元年は“高級車元年”になったのか?
89年は、日本にとって「高級車元年」でもあった。国産・輸入を問わず、高級車の拡販につながったきっかけが、89年4月の消費税導入である。新車購入時の税負担が大幅に軽減されたことによって、メルセデス・ベンツの独壇場がさらに強化され、これにBMW、アウディをはじめ、高級スポーツカー・ブランドが続いた。
この時代を最も象徴する車といえば、日産シーマであろう。シーマは日産セドリック、プリンス(日産)グロリアの最上級車種として、3ナンバー車専用で開発された。トヨタ・クラウンの3ナンバー車にワイドボディーのモデルが追加されることに対する、対抗馬だった。シーマ登場の5年ほど前、乗用車のドアミラーが初めて許可された。ハイカラの象徴だった電動サンルーフが増えたのも80年代である。最新のハイテクを満載した3ナンバー車は、ステータスだった。筆者の小学校時代の友人の母が、真新しいセドリックのパワーウィンドウに頭を挟み、大騒ぎになっていたことを懐かしく思い出す。
我が家の日産パルサーは、手動でハンドルをクルクル回して窓を開けていた時代だ。ETCもない時代のため、高速の料金所で父は大変だった。小銭など落とそうものなら、2分間の停車が確定である。盆暮れ正月でなくても、料金所は常に渋滞していた。
ここで日本を代表するセダン、トヨタ・クラウンと日産セドリック/グロリアの競争にも言及したい。国産車で初めてターボを搭載したのが79年のグロリアだった。スポーツカーにあからさまに装備して警察庁と運輸省に目を付けられないよう、重い高級車の走行性能を向上するため、と称した。対するクラウンは85年、国産車で初めてスーパーチャージャーを搭載し、ロイヤルサルーン・スーパーチャージャーとなった。これら飛び道具が当局から禁止されないとわかると、当然のように、スポーツカーに次々と実装した。
この崇高な争いの「頂上(スペイン語でcima)」に位置したのが、88年に発売された初代シーマであり、アメ車のごとき大きなV8エンジン、(羽が軽く高性能な)セラミック・ターボで武装した2代目シーマが91年に登場した。日産には最上位車種としてプレジデントがあり、その下ではトヨタ・ソアラと日産レパードが激しく競合していたが、シーマはそこに豪華さと圧倒的な速さで割り込んだ。余談だが、2021年、女優の伊藤かずえが登場当時から大切に乗り続けてきたシーマを、日産の有志チームが半年以上かけて完全にレストアして話題になった。