『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』の著者である稲垣えみ子さんは、会社を辞めて移り住んだ先のワンルームマンションに収納がなかったため洋服の断捨離を決行。その驚くべき「服9割減」の収納大整理模様と、「捨てることで得られるもの」について、著書から一部抜粋してご紹介します。
おしゃれとは「服を沢山持つこと」なのか
結果を一言でいえば、これもまあ驚いたことに「どうってことなかった」のである。私が人生でずっと大事にしてきたこと、つまりはおしゃれが大好きで、どんな日も最高の服装で過ごしたいということにおいては一切の変更なく今に至る。
念のため申し添えれば、他人様にも「9割減」の前と後でイナガキさんのイメージが変わったと言われたことは一度もない。もしかすると言いたくても言えないだけかもしれないが、恐らくそんなことでもないのではないだろうか。
だって、今も初めて会う人にはよく「イナガキさんっておしゃれですね」と言われるのだ。むろんお世辞であることは十分承知しているが、それでもそう言っていただけるということは、客観的におしゃれかどうかは別として、「おしゃれに興味がある人間」「頑張っておしゃれしたいと思っている人間」と認定していただいているのではないかと思う。
ま、考えたらこれまでだって同じことだったんだろう。これが一体どういうことかと言いますと、これは案外知られているようで全く知られていない事実で、私もいざ自分がそうなってみるまで全く知らなかったんだが、その人がおしゃれかどうかは、その人が持っている服の数とは何の関係もなかったらしいのである!
……いやー、びっくり。私はずっと、おしゃれな人とは服をたくさん持っている人のことだと思っていた。でもよくよく考えてみりゃ確かに、んなわけないんである。だっておしゃれな人って結局のところ、その人に「よく似合っている」服を着ている人だ。
で、私は9割の服を捨てた時、当然ながら、何を捨て何を残すか悩みに悩んだ。その断腸の決断にあたり、全ての服を実際に着てみた。残せる服が少なすぎるので「高かった」とか「まだあんまり着てない」とかそんなヌルイことを言うてる場合ではなく、「一点の曇りもなく似合っていると思えるか」を厳しく服と自分に問うたのだ。
そして残った1割の服を毎日のように着てるんだから、そりゃ「おしゃれな人」であって当然だ。こんな当たり前のことに気づくのに半世紀もかかってしまった。