「家族で家事を分担する」といいながら、結局母親に家事の負担が集中してしまう…。非常によく見る光景ですが、『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』の著者である稲垣えみ子さんは、「もう家事の分担やめませんか?」と提案しています。その理由を、著書から一部抜粋してご紹介します。
人生を左右するのは金でも名誉でもなく「家事力」の有無
だいたい、家事をしない人は、お金を稼ぐことはできても案外「使うこと」ができない。使うといえば、飲み代とか、趣味の何かを買うとかいうことであって、つまりは「小遣いの使い方」しか知らないのだ。
いうまでもなく、最も大事なのは小遣いではなく生活費の使い方である。自分の人生の土台を成り立たせるための堅実な支出の方法である。つまりは「生きていくのに実際いくらかかるのか」という実感である。
これは家事をして初めて身につくことだ。これができていないと、お金に対してただやみくもに執着することになる。最低限これだけあればなんとかなるという「軸」がないので、何はともあれお金がたくさんなければ人生はどうにもならないと思い込み、定年後に身の丈に合わないオイシイ再就職や起業など夢見て挫折しウツになったりするのはこのような方々だ。
一方、家事ができる人は、限られたお金を使って自分の幸せを自分で作り出す体験を積み重ねて来ているので、会社を辞めて一人になっても、慌ててお金のために再び時間を犠牲にする人生に飛び込んでいかずとも、ゆったり構えて自分の好きなことや人に喜ばれることをライフワークとすることもできる。人生の選択肢が飛躍的に広がるのだ。これはとても重要なことだ。
コロナのことを例に出すまでもなく、定年後に限らず一年先には何が起きるかわからない混迷の時代である。安泰と思っていた仕事や人生がある日突然、自分の手に負えないところで突然損なわれることは、誰の身にも起こり得る。その時、頼りになるのは、周囲がどうなろうと自分の力で自分の人生を幸せにできる力、すなわち家事力以外の何があるのかと私は言いたい。
そして、その貴重な能力を子供のうちから身につけていれば、長い人生の不安は確実に減ることはいうまでもない。いやよく考えると、家事を身につけるのは現代の若者にこそ必要なことかもしれない。
格差が開く一方の社会にあって、どんな親のもとに生まれてくるかは誰にも選べない。育児放棄や虐待といったことに遭遇することもあるかもしれない。その時、家事ができること、すなわちお金に頼らず自分で自分の生活を整える手段を持っていることは、理不尽な困難さをどうにか生き延びるための超有力な助っ人になるはずである。
無論、そこまで行かずとも、これほど目まぐるしく変化する社会において、かつてのように「普通に学校を出て、普通に就職し、普通に家庭を持ち、普通に人生を全うできる」人などほとんどいないと想定すべきである。懸命に努力していても、積み上げてきたものが一瞬にして瓦解することだって十分あり得るのだ。
そんな社会の中では、自分自身の生きる力が何よりの頼みである。なので、学力を身につけるのと同じくらい、いやむしろそれ以上の熱心さでもって、家事力を身につけることが、若者の将来を明るくする何よりも確実な方法ではないだろうか。