自分で自分の欲の奴隷になる必要はない

もちろん、どのような物語を追い求めようが自由だ。お姫様になりたければそれも良し。しかし我らはふと我に返って考えなければならない。

お姫様は自分で家事をしているだろうか? もちろん、していない。お姫様の暮らしは、幾多の使用人がいてようやく成り立っているのである。

で、あなたの場合はどうだろうか。あなたが目指しているお姫様の暮らしを実現するために、幾多の使用人を雇うことができるだろうか。姫の暮らしを実現するのにお金を使うことが精一杯で、使用人を雇うお金など残っていないのが普通なのではないだろうか。ならば、誰が使用人になるのかというと、それは「あなた自身」ということになる。

それこそが、我らの家事がどうやっても楽にならない最大の理由なのではないだろうか。すなわち、我々は人生の可能性をポジティブに追い求めているはずが、いつの間にか自分自身が自分の欲望を叶えるための使用人になり、姫が欲を募らせるほどに、時間もエネルギーもどんどん吸い取られていくのである。

そこまでしても、つまりは姫と使用人の一人二役を担ってでも、自分は本当に本当の姫のような暮らしがしたいのかを今一度考えるべきである……などと言うと、何か夢のないことを押し付けているように思われるかもしれない。でも実はそんなことはないのだ。

「姫の食卓」をあきらめた私は、決して敗北はしなかった。

最初は敗北そのものと思ったが、そうじゃなかった。その先には思いもよらぬ別の世界が広がっていた。代わり映えのない地味で平凡な食べ物を、日々「美味しい」と思える自分がいたのである。つまりは、当たり前に今ここにある平凡なものの素晴らしさに気がついたのだ。

もちろん、その素晴らしさは今までだってちゃんとそこにあった。でも私はいつだって、今ここにないものを追い求めること、そう「可能性」を追求することに忙しすぎて、足元に目を向ける余裕なんてこれっぽっちもなかったのである。

「ここにはないもの」ばかり見てきた私。つまりは何も見てなかった私。

そんな人間になぜ幸せが見つけられるというのだろう。

可能性を捨てることは、今ここにあるものの素晴らしさに気づくこと。そこに気づくことさえできたなら、自分で自分の欲の奴隷になる必要なんて、つまりは大変な時間と労力をかけて家事を頑張る必要なんて全然ないのである。

稲垣 えみ子