右打者が有利といわれる甲子園球場で、ランディ・バースはクレバーにもハートフルにも戦った左打者です。優勝のカギを握った1人、ランディ・バースとはどのような人物だったのでしょうか。掛布雅之氏の著書『常勝タイガースへの道 阪神の伝統と未来』(PHP研究所)より、阪神が優勝を成し遂げた要因をみていきましょう。
ランディ・バースのバットの秘密
彼のバットは、先が太くて、グリップが細い。バットの総重量は1キロ近くあった。グリップが細くて、バットのヘッドが太いということは、グリップを握ったときにはすごく重さを感じるはずだ。
ただ、彼は2ストライクを取られると、バットを少し短く持って確実にミートしてくる。また、夏場に疲れが溜たまってくると、33インチ半という短いバットを1本バットケースに入れて、自分が疲れていると感じると、短いバットを使っていた。
相手のバッテリーは、バットが変わったことには気づかない。そういうクレバーさに秀でた打者だった。過去の外国人選手の中には素晴らしい打者もいたが、バースほど日本の野球を分析し、対応して、打席に立ち続けた外国人選手を私は知らない。
また、相手投手が厳しい内角攻めをしてきても怒ることはなかった。相手投手に対して常に紳士的な対応をしていたのが印象的だ。
私も内角攻めをされても、怒りの感情を表すことはなかった。なぜなら、相手投手に怒りの感情をぶつけると、次の打席で投手はむきになって内角攻めを執拗にしてくるからだ。怒らなければ、投手も申し訳ないという気持ちになり、内角攻めをしてこなくなるものなのだ。バースが私の対応を見てそのような態度をとっていたかはわからないが……。
そして、試合中に相手投手からデッドボールをもらったとしても感情を露わにすることはなかった。助っ人外国人選手は、投手にぶつけられると激高するシーンも多く見られた時代である。
バースは静かな闘志を持った男だった。数多くの外国人選手と共にプレーをしてきたが、バースは助っ人というより仲間であり友人だった。
バースは人間的にも、周りに対する気配りというものが素晴らしい外国人選手だった。シーズンが終わると、必ず私のところに来て「ありがとう」といって帰っていく。
「あなたが4番にいてくれたから、俺は3冠王を獲れた。あなたが3番を打っていたら、全部タイトルを獲っていたかもしれない」ともいっていた。そういう、人に対する気配りもあったのだ。当時の安藤統男監督にも「来年も掛布の前を打たせてくれ」といって帰国していた。
バースに対して同じ左打者としてアドバイスをしたことはない。私のバッティングを見て「ああいうふうな左方向への打ち方をしなければ駄目だ」と思っていたようだ。「掛布のような打球方向を多く打っていかないと、ホームラン数は増えない」と浜風から感じたのではないだろうか。
MLBと比較して狭い日本の球場で、左方向に強い風が吹いているときには、軽く流しただけでレフトスタンドへの本塁打になるほどだった。
前述したように、バースはインコースの速いボールに対して比較的弱いと言われていたようだが、変化球を打つのがとても上手かった。85年の日本シリーズでも、第1戦の松沼博久投手、工藤公康投手から執拗にインハイを攻められるが、工藤投手のアウトコースのカーブをレフトスタンドに運ぶ値千金の本塁打を放った。
掛布雅之
プロ野球解説者・評論家