ランディ・バースが日本で成功できた理由

バースはMLBのミネソタ・ツインズ、カンザスシティ・ロイヤルズ、モントリオール・エクスポズ、サンディエゴ・パドレス、テキサス・レンジャーズなどのチームを渡り歩いていた。長打力は評価されている一方で「ウォーニングトラック・フライボールヒッター」ともいわれていた。フェンス際まで打球を飛ばせる力はあるものの、オーバーフェンスには少し足りないバッターを揶揄する表現だ。

また、MLBの速球派投手に弱いという弱点もあった。NPB(日本野球機構)では、阪神以外にはヤクルト、阪急が獲得調査をしていたが、結果的に阪神が獲得することとなった。当時阪神ではレギュラーの左打者が私1人であり、左打者がもう1人いれば……ということだったのだろう。

阪急はそのときに右打者のブーマー・ウェルズを獲得したと当時の安藤統男監督(阪神)から聞いた。また、バース、ブーマー共にポジションが一塁手であり、守備位置が被っていた。どちらかが外野を守れていたなら、両方の選手を獲得したかったとも聞いた。また、バース獲得の大きな要因として、当時の編成担当から聞いたところによると、彼はマイナーリーグの2Aや3Aで4球を年間80前後選んでいて、打席で我慢できる選手という評価だった。そして、速球を打つのは苦手だが、変化球打ちが上手いという評価だった。

バースは1983年から88年まで在籍し、2度の3冠王を獲得、NPBシーズン最高打率の3割8分9厘(86年)を記録した。

バースに関して特筆すべきことは、日本文化に溶け込もうという強い意思を感じたことである。

阪神は83年、84年とハワイのマウイ島でキャンプを行っていた。そのキャンプの休日にゴルフをラウンドしたり、川藤幸三さんに将棋を教わって覚えるなどしてチームになじんでいった。チェスと同じだと思っていたが、全然違うので面食らったらしい。来日した際には、オクラホマの小さな町から来たバースは慌ただしく動く日本人に驚いたという。来日1年目は、電車で甲子園球場まで通い、球場のおばちゃんがつくってくれるラーメンを愛した。屋台のラーメンにもチャレンジしていた。また、いたずら好きで茶目っ気があった。

野球に関しては、甲子園球場の内野に芝生がないことに驚いたという。MLBのグラウンドは天然芝であることが多い。

そしてよくいわれることであるが、フルカウントで、ストレートではなく変化球を投げ込んでくる攻めに躊躇したという。また、明らかに外角に外れたボールなのに、外国人という理由でストライクゾーンが広くなり、審判にストライクコールされたことがあったという。そのため、1軍打撃コーチの並木輝男さんに相談し、並木さんの提案でセンターからレフトに打つ練習を徹底的に行った。

2023年1月、日本の野球殿堂に選ばれたバースが来日した際に、日本で成功できた理由を「1番大きかったのは並木打撃コーチの存在」と語っている。「コースに逆らわずセンターからレフトへ打つことを辛抱強く教えてくださいました。今の自分があるのは並木コーチのおかげ。レフトから左中間にホームランが出るようになり、タイトルを獲れるほどの打者に成長できた」と明らかにしている。