米国市場は早々に好転。日本市場は延々と脆弱な相場が続く
リーマン・ショックの大暴落の後、09年から次の上昇相場が始まるまでの約4年間が、まさにそうした状況でした。
08年10月27日まで最安値を続けていた日経平均株価はその後、乱高下しながらも反発の様相となっていましたが、09年早々に反落。その下落は08年10月の最安値とほぼ同水準で3月10日に止まり、ダブルボトム型のパターンを形成します(図2)。
そこから相場の好転を思わせる値動きにはなりますが、1万円に到達した途端に大きく下げる。その後、1万円を超えたところがまた大きく下げる。そこから何とか1万1000円を超えるまで上値を切り上げたところが、10年4月にギリシャの財政危機が欧州諸国に連鎖する懸念が拡がったことを背景に大下げ。ここから日経平均株価は上値・下値をジワジワ切り下げる動きに変わります。
11年の東日本大震災時の急落はその直後に大きく戻していますが、大震災前の高値には届かず下落再開。脆弱きわまりない動きは11 年終盤まで続いています。
米国市場を見てみれば、そのときには不安定ながらも上昇トレンドの様相です(図3)。大下げする場面があっても、下値を切り下げずに反転し、上値を切り上げる。10年時点で08年7月の水準にまで到達しています。この頃、「米国が下げれば日本も下がる。米国が上げても日本は下がる」とよく言われていたものです。
なぜ日米がこうも違っていたのかといえば、やはり経済・金融政策の差でしょう。
09年以降、なりふり構わず金融緩和政策を強力に推し進めていた米国に対して、当時の白川方明日銀総裁はそれほど金融緩和に積極的ではない。むしろ、デフレ脱却に向けた金融緩和に消極的と受け取られかねない見解もありました。
この温度差は、日米金利差縮小要因であり、ひいては円高ドル安要因です。実際に、ドル円レートは11年10月に75円台をつけるという超円高になっています。これが株安の大きな背景です。
少々話が逸れますが、この超強い円で米国市場のS&P500を換算してみたのが図4です。日経平均株価に比べればまだいいとしても、魅力的な動きとは到底言えません。米国市場が上昇トレンドの様相になっていても、円高ドル安のもとで米国市場に投資するとこうした結果になります。
勢いある上昇は3ヶ月にして終了。TOPIXは“リーマン”最安値割り込む
ドル円レートが75円台をつけた後、円安ドル高方向に戻す動きが出ます。と同時に、日経平均株価の脆弱な動きにも変化の兆しが現れました。その変化が誰の目にも明らかになったのが12年1月です。
市場全体が“押し目待ちに押し目なし”のような勢いで上昇し、3月には大震災後の戻り高値を超えるに至っています。10年4月以降、前につけた高値を上回ったのはこれが初めてです。
このとき「長年待っていた夜明けがついに来た。ここから本格的な上昇相場が始まる!」と確信し、心を踊らせた人も多かったことでしょう。
ところが、4月に入るとその勢いが幻だったかのように消え失せてしまいます。
5月には下げが加速し、6月4日、日経平均株価は1月の上昇スタート地点まで全戻し。本格的な上昇相場への転換を確信していただけに、それが超絶な“ぬか喜び”に終わったショックは甚大でした。このショックにさらに拍車をかけたのがTOPIXです。TOPIXは4月からの下落が強烈で、全戻しどころか、こともあろうに09年3月につけたリーマン・ショック時の最安値をわずかながらも6月4日に下回ってしまったのです(図5)。
「明けない夜があるのではないか」と本気で考えたのは、忘れもしない12年6月4日のことでした。
最安値を下回るというのは、下降トレンドがまだ継続している、下落相場が再開することを示唆します。ここからリーマン・ショックの下落相場が再開したら、どこまで下げるのか。日経平均株価は5000円で済まないのではないか。そのとき個別銘柄の株価はどういうことになるのか。自分の損益がどうのこうのはもはや通り越して、もう絶望。日本の株式市場に何の希望も見出せない。
言いようのない虚無感に襲われたことをいまでも時々思い出します。