米国の利上げに日銀の金融緩和の出口戦略…金融を理解するには「金利」についての知識が不可欠です。今回は田渕直也氏の著書『教養としての「金利」』から一部を抜粋し、金利のルーツとそもそも「お金」とは何か、ということについて考えます。
穀物の借り賃は上限「33.3%/年」…古代メソポタミアで生まれた「金利」の概念

 

通貨はなぜ通貨たり得るのか

 

メソポタミアの西方、いまのトルコがあるアナトリア半島(小アジア半島)にリディアという国がありました。

 

ここでは当初、砂金などを実物貨幣として使っていましたが、紀元前6世紀、伝説的な超お金持ちとして現代にも語り継がれているクロイソス王によって、金と銀の合金による硬貨がつくられたといわれています。材質が金と銀の合金なので、それ自体に価値があったともいえそうですが、要するに自然物ではなく、お金の役割を果たすために製造された貨幣の誕生です。

 

もっとも、おそらくそれとあまり変わらない年代に、中国でも農具や刀をかたどった青銅製の貨幣がつくられるようになっています。

 

お金の誕生は、何か特定の起源がひとつだけあるというよりも、さまざまな文明で多発的に発生し、それぞれで発展してきたと考えられるのです。

 

紙製のお金、つまり紙幣については、世界最古とされるのが11世紀、宋時代の中国で発行された交子です。

 

これは、すでに流通していた硬貨の預かり証で、いつでも指定された硬貨と交換可能なものでしたが、この預かり証がお金そのものとして使われるようになっていったのです。

 

紙幣がもともとは預かり証だったというのは重要な点です。

 

現代金融システムは基本的にヨーロッパが起源ですが、そのヨーロッパでは17世紀に、スウェーデン国立銀行の前身であるストックホルム銀行が銅と交換できる紙幣を発行しています。また、同じころ、イギリスでは金細工職人(ゴールドスミス)がいつでも金と交換可能な預かり証を発行し、それがやがて紙幣として使われるようになりました。

 

これが後のイングランド銀行券の原型になったといわれています。

 

こうした貴金属による裏付けをもった紙幣のことを兌換紙幣と呼んでいます。ある国の通貨が兌換紙幣である場合、紙幣と交換可能な金属の種類によって、銀本位制とか金本位制などと呼ばれます。金本位制は、20世紀前半まで、日本を含む多くの国で採用されていた制度です。

 

では、いまも1万円札をどこかにもっていけば金に換えてくれるかといえば、もちろんそんなことはないですね。

 

いまの日本の紙幣は、そして世界中のほとんどの国もそうなのですが、裏付けとなる何かをもたない不換紙幣なのです。要するに、たんに金額が印刷された紙に過ぎません。

 

では、不換紙幣はなぜお金としての価値をもつのでしょうか。

 

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリは、そもそもお金は虚構であるといっています。それは、意味のないものだという趣旨ではありません。人類は、物理的な実態をもたない概念的な存在としての虚構を築き上げ、それをみなで信じるという特殊な能力をもつことで人類たり得たのだというのが彼の主張であり、お金もそのひとつだということです。

 

もう少しかみ砕いていうと、お金というものは、みながその価値を信じるからお金としての価値が生まれるということでしょう。

 

たとえば日本で流通するお金には日本銀行が発行する日本銀行券(紙幣)と政府が発行する硬貨(貨幣)がありますが、正確にいえば、これらはお金としての役割を法律によって決められています。こうしたお金を法定通貨と呼びます。

 

ただし、いくら法律で「これはお金として使えますよ」といったところで、誰もその価値を信じていなければ、やはりお金としての価値はなきに等しいものになります。

 

歴史上の有名な事例として、第一次世界大戦直後の1923年、ドイツでハイパーインフレと呼ばれる超絶的な物価上昇が起きました。インフレはインフレーションの略で、持続的な物価上昇を意味しています。逆に持続的に物価が下落するのがデフレ(デフレーション)です。

 

ですから、超を意味するハイパーをつけたハイパーインフレは、超インフレとでもいうべきものです。このときドイツの物価は、大戦勃発前の1914年に比べると、最終的には1兆倍程度にまで上昇したといわれています*

 

物価上昇とはモノの値段が上がることですが、視点を変えればお金の価値が下がることと同義です。とくにハイパーインフレは、お金の価値を誰も認めなくなったときにこそ起きるものです。ですから、いくら法定通貨であったとしても、お金がお金としての価値をきちんと維持するためには、みながその価値を信じることがやはり必要なんですね。