(※画像はイメージです/PIXTA)
老後資金対策、妻の秘策
次の日の朝、妻Yさんはこういいました。
「あの子はなにか怒っていたけど、私はヨーロッパ旅行は行ってよかったし、あなたにも感謝してるよ。セーヌ川を見られて本当によかった」
夫Kさんがほっとした顔でうなずきます。でも、「確かにお金を計算したら、65歳で退職金が尽きてしまうのは間違いないわね」。妻Yさんはこう続けます。「子どもにいわれなくても、私もちゃんと考えてますから」
驚いた夫Kさんが尋ねます。「投資とかするのか?」
「違います。65歳からの年金は2人で年300万円くらいでしょう。食べていく分にはそれでじゅうぶん。生命保険にちゃんと入っているし、入院しても介護になっても大丈夫。あなたが65歳になるまでいまある2,400万円を減らさないようにすればいいだけよ」
妻Yさんはいまのパートをあと5年続けるといいます。それを聞いて、夫のKさんも答えました。
「じゃあ、俺も働こう。まだまだ体力はあるし、あと5年くらいは平気だよ」
夫Kさんには、もとの職場の社長から先週電話があり、たまに手伝ってくれないかと懇願されたそうです。答えは保留にしていたとのこと。慣れた職場なら抵抗はないし、請われていくのだから気も楽です。「どのくらい働いて、いくらもらえるのか話を聞いてくるよ」。夫Kさんの顔が少し明るくなりました。
再雇用の条件
その日、Kさんは社長の携帯に電話してみました。
「君からの電話を待ってたよ」という社長の明るい声に、Kさんは思わず背筋を伸ばしました。「お手伝いの話、まだ生きてますか?」と切り出すと、社長は困っている様子。
「生きてるどころか、本当に頼むよ。うちの若い営業が君みたいに全然売れなくてさ。営業課長の補佐として営業の同行研修とかしてほしいんだよ」
営業課長はKさんが教えて育てた後輩ですが、Kさんは今度は部下として働こうと思っています。今度は課長を支える役割です。「もし課長が嫌でなければぜひ働かせてほしい」と社長に告げると、電話の向こうでは社長が弾んだ声で、「ぜひ明日会社に来てくれ。手続きなどしよう。あと昼飯もどうだ」と喜んでいました。
条件は週3日の勤務で、給料は月に30万円。定年退職した身には悪くない条件です。妻のパート代が月8万円ほどですから、手取りで30万円は残るでしょう。
それを妻に報告すると、「本当にありがとうね。退職したのにまた働かせるなんて。本当にあなたが夫でよかった」と感謝されました。その言葉だけでもこれからまた頑張れる気がします。
社長がいうには、あと10年、70歳までは働いてほしいとのことでした。社長の息子が最近入社し、跡取りとしての教育は始めているようです。社長が引退するまであと5年。そこからさらに5年、息子のことも支えてほしいといいます。支えになるかはわかりませんが、「体力が続く限りやります」と夫Kさんは答えました。
翌日、Kさんは久しぶりにスーツを着てもとの職場に向かいました。もとの後輩はみんな歓迎してくれました。「退職金を1週間で使ったと聞きましたよ」とからかう後輩も。
手続きを終えると、社長と約束どおり、会社の近くの蕎麦屋にいきました。現役時代は何百回と通ったお店です。
「嫁さんとヨーロッパに行ってきたんだって? しかもファーストクラスで」と社長に聞かれました。なぜ知っているのかわかりませんが、おそらく後輩から話が伝わっていたのでしょう。「倹約家の君にはめずらしいじゃないか」。
Kさんは苦笑いしながら答えました。「ファーストクラスなんて乗るんじゃなかったですよ。おかげで70歳まで、また社長のところで働くことになりました」。
社長は声を上げて笑います。「なに、70まで息子を支えてくれたら、二度目の退職祝いに、もう一度嫁さんにセーヌ川を見せてやればいい。きっと驚くぞ。ファーストクラスは息子に出させるよ。そのころには俺も隠居だから、一緒に連れていってくれ」。
Kさんは「社長の分は、ご自分で払ってくださいよ」と笑って返して、天ざるをすすりました。Kさんにとっての「財産」は、実は退職金ではなく、現役時代に培った信頼と人脈だったのかもしれません。
長岡 理知
長岡FP事務所
代表
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