定年退職後、退職金や貯蓄などのまとまったお金を背景に「いまのうちにやりたいことをやろう」と考える人は少なくありません。しかし老後資金は、たしかに夢を叶える最後のチャンスであるかもしれませんが、それ以前に老後の生活を守る有限なお金であることも忘れてはいけません。本記事ではKさんの事例とともに、老後の本当の財産について、長岡FP事務所代表の長岡理知氏が解説します。※本記事に掲載している事例は、プライバシー保護および情報の一般化のため、実際の相談事例をベースに一部の数値や設定を変更・再構成したものです。
「40年分のご褒美で、ファーストクラスに乗ったんですが…」退職金2,000万円・夢のヨーロッパ旅行を満喫した60歳夫婦。帰国後、“最近タワマンを買った娘の一言”で、「また毎日納豆生活に戻ります」とトホホなワケ (※画像はイメージです/PIXTA)

老後資金対策、妻の秘策

次の日の朝、妻Yさんはこういいました。

 

「あの子はなにか怒っていたけど、私はヨーロッパ旅行は行ってよかったし、あなたにも感謝してるよ。セーヌ川を見られて本当によかった」

 

夫Kさんがほっとした顔でうなずきます。でも、「確かにお金を計算したら、65歳で退職金が尽きてしまうのは間違いないわね」。妻Yさんはこう続けます。「子どもにいわれなくても、私もちゃんと考えてますから」

 

驚いた夫Kさんが尋ねます。「投資とかするのか?」

 

「違います。65歳からの年金は2人で年300万円くらいでしょう。食べていく分にはそれでじゅうぶん。生命保険にちゃんと入っているし、入院しても介護になっても大丈夫。あなたが65歳になるまでいまある2,400万円を減らさないようにすればいいだけよ」

 

妻Yさんはいまのパートをあと5年続けるといいます。それを聞いて、夫のKさんも答えました。

 

「じゃあ、俺も働こう。まだまだ体力はあるし、あと5年くらいは平気だよ」

 

夫Kさんには、もとの職場の社長から先週電話があり、たまに手伝ってくれないかと懇願されたそうです。答えは保留にしていたとのこと。慣れた職場なら抵抗はないし、請われていくのだから気も楽です。「どのくらい働いて、いくらもらえるのか話を聞いてくるよ」。夫Kさんの顔が少し明るくなりました。

再雇用の条件

その日、Kさんは社長の携帯に電話してみました。

 

「君からの電話を待ってたよ」という社長の明るい声に、Kさんは思わず背筋を伸ばしました。「お手伝いの話、まだ生きてますか?」と切り出すと、社長は困っている様子。

 

「生きてるどころか、本当に頼むよ。うちの若い営業が君みたいに全然売れなくてさ。営業課長の補佐として営業の同行研修とかしてほしいんだよ」

 

営業課長はKさんが教えて育てた後輩ですが、Kさんは今度は部下として働こうと思っています。今度は課長を支える役割です。「もし課長が嫌でなければぜひ働かせてほしい」と社長に告げると、電話の向こうでは社長が弾んだ声で、「ぜひ明日会社に来てくれ。手続きなどしよう。あと昼飯もどうだ」と喜んでいました。

 

条件は週3日の勤務で、給料は月に30万円。定年退職した身には悪くない条件です。妻のパート代が月8万円ほどですから、手取りで30万円は残るでしょう。

 

それを妻に報告すると、「本当にありがとうね。退職したのにまた働かせるなんて。本当にあなたが夫でよかった」と感謝されました。その言葉だけでもこれからまた頑張れる気がします。

 

社長がいうには、あと10年、70歳までは働いてほしいとのことでした。社長の息子が最近入社し、跡取りとしての教育は始めているようです。社長が引退するまであと5年。そこからさらに5年、息子のことも支えてほしいといいます。支えになるかはわかりませんが、「体力が続く限りやります」と夫Kさんは答えました。

 

翌日、Kさんは久しぶりにスーツを着てもとの職場に向かいました。もとの後輩はみんな歓迎してくれました。「退職金を1週間で使ったと聞きましたよ」とからかう後輩も。

 

手続きを終えると、社長と約束どおり、会社の近くの蕎麦屋にいきました。現役時代は何百回と通ったお店です。

 

「嫁さんとヨーロッパに行ってきたんだって? しかもファーストクラスで」と社長に聞かれました。なぜ知っているのかわかりませんが、おそらく後輩から話が伝わっていたのでしょう。「倹約家の君にはめずらしいじゃないか」。

 

Kさんは苦笑いしながら答えました。「ファーストクラスなんて乗るんじゃなかったですよ。おかげで70歳まで、また社長のところで働くことになりました」。

 

社長は声を上げて笑います。「なに、70まで息子を支えてくれたら、二度目の退職祝いに、もう一度嫁さんにセーヌ川を見せてやればいい。きっと驚くぞ。ファーストクラスは息子に出させるよ。そのころには俺も隠居だから、一緒に連れていってくれ」。

 

Kさんは「社長の分は、ご自分で払ってくださいよ」と笑って返して、天ざるをすすりました。Kさんにとっての「財産」は、実は退職金ではなく、現役時代に培った信頼と人脈だったのかもしれません。

 

 

長岡 理知

長岡FP事務所

代表

 

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