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「私はアリサが羨ましいよ」
ところが数日後、アリサさんは見違えるような明るい顔で帰宅しました。
「お母さん、この前の話、バイトの子にした」
話を聞いてくれたのは、地方の公立高校から国立大学へ進学した同年代の女性でした。
自分は小学3年生から塾に通わせてもらい、中高は私立。大学受験でも塾へ行った。それなのに「そこそこの私立大学」へ進み、兄は国立大学の理系学部。「お兄ちゃんは元が取れているのに、自分は……」と思ってしまう。
バイト帰りのファミレスでそんな気持ちを打ち明けると、友人は驚いて言ったそうです。
「何言ってるの! 私はアリサが羨ましいよ。アリサはいまの大学のこの学部に行きたいって思って、そこに向かって努力してきたんでしょ?」
アリサさんにとっては、思いがけない言葉でした。
友人は続けます。
「私なんて、親から『国立ならどこでもいい』って言われて、成績とか受かりそうなところを見て、なんとなく今の大学を選んだんだよ。だから最近、これでよかったのかなって思ってる。少なくとも学部についてはもっと考えるべきだった」
アリサさんから見れば、地方の公立高校から国立大学へ進学した友人は、自分よりずっと優秀で、自分の力だけで道を切り開いてきたように見えていました。一人暮らししていることをアリサさんから見れば頼もしく見えました。しかし友人から見ると、「ここでこれを学びたい」という目標を持ち、自分で進路を選んできたアリサさんが羨ましかったのです。
「アリサって、いろんなこと知ってるじゃん。話してると、小さいころからいろんなところに行ったり、いろんな経験をさせてもらったんだなって思う。さすが東京の子は違うなって思った。参考書からは学べないことばかりだよ。私は地方にいて、勉強くらいしかやることがなかったから勉強しただけだよ。むしろアリサに会ってから、知らなかったことをいろいろ知ったし、刺激を受けてる。私はアリサが羨ましいよ」
アリサさんはこれまで、家族で旅行へ出かけたり、美術館や舞台を見に行ったり、習い事をしたり、学校の研修に参加したりしてきました。
その夜、2人はファミレスですっかり話し込んだといいます。それぞれが自分にはないものを相手に見つけ、羨ましいと思っていたこと。どちらの進路が上でも下でもなく、それぞれ違う道を歩いてきたこと。そして最後は、「でも、その結果こうして会えたんだから、よかったね」という話に落ち着いたそうです。
その話を聞いたユウコさんはようやく安心しました。
「この数日、私も『大学名だけがすべてじゃないよ』『行きたかった学部に入れたんでしょう』って、いろいろ励ましたんですけどね。私が何を言っても、あまり響いている感じがなかったんです。でも、自分とは違う環境で育った同い年の友達に言われたからこそ、すっと入ったんでしょうね。晴れやかな顔をして帰ってきたので、本当にほっとしました」
教育にかけたお金を、進学先だけで測らない
親が子どもの教育に使ったお金は、数字にすると大きなものです。子ども自身が成長し、「自分にはこんなにお金がかかっていたんだ」と知れば、「それに見合う結果を出さなければ」と負い目を感じることもあるでしょう。
近年は、家庭の経済状況や住んでいる地域などによって、旅行や文化・芸術、スポーツ、習い事といった学校外の体験機会に差が生まれる「体験格差」も指摘されています。ただ、どのような環境で育ったかだけで、その人の経験の豊かさを単純に比べることはできません。
アリサさんは友人との会話を通して、自分が当たり前だと思っていた経験もまた、親から受け取ってきたもののひとつだと気づきました。一方、アリサさんが羨ましいと思っていた友人にも、進路への迷いがありました。
違う環境で育ったからこそ、お互いに相手から刺激を受けることがある。そして、「その結果こうして会えたからよかった」。2人がたどり着いた結論は、教育にかけたお金の価値を、進学先やコスパだけで測ることの難しさを示しているのかもしれません。