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退職金1,500万円で選んだ地方の平屋
東京生まれ、東京育ちの伊藤隆さん(仮名・65歳)、恵子さん(仮名・65歳)夫婦は、定年前から「仕事を辞めたら地方に引っ越して、畑でもやりたいね」と話をしていました。
隆さんは60歳定年時に退職金1,500万円を受け取り、年金受給の始まる65歳まで、再雇用で働きました。現在、夫婦の年金収入は月約29万円です。
その後、2人が選んだのは、地方にある庭付きの平屋でした。周囲には田畑が広がり、敷地には小さな畑を作れるスペースもあります。長く暮らした首都圏のマンションを売却し、「これからは2人でゆっくり暮らそう」と移住を決めました。
「朝、庭を見ながらコーヒーを飲む生活に憧れていたんです」
引っ越したばかりのころは、2人とも新生活を楽しんでいました。
庭に花を植え、野菜の苗も買いました。天気がいい日は近所を歩き、採れた野菜を食卓に並べる――会社員時代にはできなかった生活です。
ところが、数カ月が過ぎるころ、少しずつ変化が出てきました。今年は雨の日が多く、日照も少なかったため、思うように野菜が育ちません。
「長雨続きで畑の野菜はほぼ全滅。でも暑いので、雑草だけは伸びる伸びる……」
恵子さんはそう話します。雨が続けば雑草も伸び、何を育てているのか分からなくなったといいます。
「庭で野菜を育てるのが楽しみだったのに、ただ畑をきれいに保つために『手入れしなきゃ』と思うようになってきました」
生活の変化は、庭だけではありません。元々都会育ちで、必要性が低かったため、車を持っていなかった隆さん。地方では車の所有は必須です。スーパーは歩いて行ける距離ではなく、バスの本数も多くありません。重いものを買う日は、帰りの移動も大変です。病院へ行くときにも時間がかかります。
「車も買ったんです。軽自動車。でも免許を取ったきりのペーパードライバーです。こっちの人、結構スピード出すでしょ? 道幅も広いし。怖くて運転なんてできないんですよ」
移住から5カ月ほど経ったころ、娘・愛さん(仮名・38歳)が両親の家を訪ねました。電話では、いつも「元気にやっている」と聞いていました。ところが、家に着いた愛さんは、玄関前の伸びた草を見て驚きます。
「お父さん、庭どうしたの?」
「今年は、なかなかうまくいかなくてな」
さらに娘が冷蔵庫を開けると、食材があまり入っていませんでした。
「買い物、ちゃんと行ってるの?」
恵子さんは少し考えてから、
「最近は、あるもので済ませることが増えたかな」
と答えました。
内閣府『令和5年度 高齢者の住宅と生活環境に関する調査』によると、高齢者が住まいや地域の環境で重視すること(複数回答)では、「医療や介護サービスなどが受けやすいこと」が61.4%で最も高く、「駅や商店街が近く、移動や買い物が便利にできること」が54.1%と続きます。一方、「豊かな自然に囲まれていること、または静かであること」は30.9%にとどまりました。
隆さん夫婦が移住前に魅力を感じていたのは、まさに「自然」と「静かさ」でした。しかし、暮らし始めてみると、現実の厳しさに打ちのめされたといいます。