内閣府の『令和7年版高齢社会白書』によると、役員を除く男性雇用者のうち非正規の職員・従業員の比率は、55~59歳では10.3%にとどまりますが、60~64歳で41.3%、65~69歳では67.8%と、60歳を境に大幅に上昇します。一方で、シニア層が現在の仕事を決めた理由としては「自分の経験やスキルが生かせる」が41.5%と最も高くなっています。職場で非正規化が進み立場や収入が削ぎ落とされるなかで、「過去の経験や実績」に執着すれば、家族との溝は深まるばかりです。事例を見ていきましょう。※事例の人物名はすべて仮名です。
「日本人の上位5%に入る俺に向かって…」家で威張り散らかす年収1,300万円だった元部長の60歳夫、定年退職後に56歳主婦の妻との立場が〈大逆転〉したワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

役職定年と再雇用で崩れていった「大手ゼネコン元部長」のプライド

大手ゼネコンの管理部長として大型プロジェクトを采配し、現場と本社を仕切ってきたマサルさん(60歳)。50代前半の現役ピーク時は年収1,300万円を稼ぎ出し、専業主婦の妻・カオリさん(61歳)と2人の娘を養ってきました。

 

マサルさんには、自身のキャリアと高収入に対して絶対的なプライドがありました。

 

「以前、テレビで日本人の給与について特集しているのを見て。そのとき、自分の収入は上位5%に入ることを知ったんです。娘にも伝えて、誇らしかったですね」

 

当時、カオリさんに対するマサルさんの態度は常に「稼いでいる側」「養っている側」として優位でした。「俺が外で働いて家計を支えているんだ」という態度から、カオリさんが用意する食事の味付けに細かく文句をつけたり、休日に少しでも家事を頼まれると不機嫌になったり。しかし、55歳を迎えたときに第1の試練が訪れます。会社の制度による「役職定年」です。

 

部長職を解かれて平社員扱いの専門職となり、年収は1,300万円から900万円ほどへ減額。かつての部下が上司になり、社内での扱いが変わったことにマサルさんは屈辱的な気持ちになりました。職場で傷ついた自尊心を穴埋めするかのように、家庭内では「俺が年間何十億円の金を動かしてきたと思っているんだ」と過去の功績を鼻にかけ、カオリさんに威圧的な態度をとる頻度が増えていきます。

 

さらに5年後、マサルさんが60歳で迎えた「定年退職」が第2の試練に。

 

60歳で定年を迎えたマサルさんは嘱託社員として再雇用されましたが、給料は現役時代の半分以下である年収400万円台にまで激減。一方で、このタイミングで娘たちが完全に独立し、夫の二段階の減収を目にしたカオリさんは、「家計の足しに」と近所のクリニックで医療事務のパートを始めました。

 

社会に出て働き、自分自身の収入を得る経験は、カオリさんに大きな自信を与えます。職場の仲間とランチを楽しみ、自分で稼いだお金で買い物をする。そんな充実した日々を送るうちに、カオリさんのなかで「過去の年収を盾に威張り散らす夫」への冷めきった感情が決定的なものになっていったのです。

 

給料が減ったにもかかわらず、家では相変わらず「部長」気取りでふんぞり返り、脱いだ服もそのまま、お茶すら自分で淹れようとしないマサルさん。カオリさんの心は完全に離れていました。

 

そして65歳になり、マサルさんは嘱託契約も満了して完全退職の日を迎えました。夫婦合わせた公的年金と企業年金の見込み額は「月額32万円」。生活に困る額ではありません。マサルさんは「これからは毎日、悠々自適に過ごさせてもらう」と、これまで以上にカオリさんに身の回りの世話を要求するようになりました。

立場が逆転した日

定年退職から数ヵ月後、ある昼のこと。

 

その日、カオリさんはパートのシフトが入っており、出かける準備をしていました。マサルさんの昼食用に、冷蔵庫にタッパーに入った焼きそばを用意し、「温めて食べてね」と声をかけたときです。

 

「またこんな手抜きか!」とマサルさんが声を荒らげました。「俺は外で散々苦労して、たくさん稼いで日本人の上位5%に入っていた人間だぞ! それなのにこんな昼飯しか出せないのか!」

 

過去の栄光を持ち出し、怒鳴り散らすマサルさん。(最近、一層怒りっぽくなったな)と冷静に夫を見るカオリさんは、一切怯みませんでした。玄関で靴を履きながら、ハッキリと言い放ったのです。

 

「上位5%だかなんだか知らないけれど、それは何年も前の会社でのお話でしょ? いまのあなたは、自分の昼ご飯一つ温められない、ただの無職のおじさんよ。私はこれから仕事があるの。嫌なら自分で好きなものを買ってくれば?」

 

バタン、と容赦なく閉められた玄関のドアの音に、マサルさんは呆然と立ち尽くしました。

 

役職定年、そして再雇用と、段階的に社会的地位と収入を失っていくなかで、最後まで捨てられなかった「元部長」のプライド。家事能力が皆無の自分は、すでに妻に頼らなければ生きていけないという現実と、完全に逆転してしまった夫婦の力関係を、痛烈に悟らされることになりました。