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「援助した側」と「援助された側」で違ったお金の意味
ただ、難しいのはここです。
親が「見返りを求めていない」と考えていても、受け取る子ども側まで同じように感じているとは限りません。
「家のお金を出してもらった」
「孫にもいろいろ買ってもらっている」
そんな負い目があれば、本来なら「今日は来ないでほしい」「寝室には入らないで」と言える場面でも、言葉を飲み込んでしまうことがあります。
そして親は、拒絶されないことで「嫌がられていない」と受け取ってしまいます。
ユキコさん夫婦の場合もそうでした。
息子夫婦が我慢しているとは知らず、「いつでも遊びに行けるほど仲のいい家族」だと思っていました。息子夫婦は逆に、「援助してもらっている以上、多少は我慢しなければ」と考えていたのです。
どちらか一方が突然変わったわけではありません。認識のズレが長い時間をかけて積み重なり、新居のお披露目をきっかけに表面化したのでしょう。
親子でも「別の家庭」と考える
親から子への経済的援助そのものが悪いわけではありません。余裕のある親が、住宅購入や教育費など、子育て世代の大きな支出を支えることには意味があります。
しかし、お金を渡すことと、相手の生活に踏み込むことは別問題です。
たとえ住宅資金を援助していたとしても、その家は息子夫婦の生活空間です。寝室やクローゼットを見せるかどうかを決めるのも、訪問の頻度を決めるのも、そこで暮らす人たちです。
逆に子ども側にも、援助を受けたからといってすべてを我慢する必要はありません。「来るときは事前に連絡してほしい」「半年に1回くらいがちょうどいい」と、早いうちから言葉にすることが、結果として親子関係を守ることにつながります。
ユキコさんは現在、息子の言葉どおり、こちらから連絡することを控えているそうです。
「今でも、そこまで怒らなくても……という気持ちはあります。でも、嫌だと思っていることに全然気づいていなかった。それは申し訳なかったと思います」
老後にある程度の資産を持っていれば、子どもや孫のために使ってあげたいと思うのは自然なことでしょう。
ただし、援助はあくまで援助です。
お金を出したことで、子どもの家庭が「自分たちの家庭の延長」になるわけではありません。親子がそれぞれ別の暮らしを持つようになったあとこそ、「家族だから言わなくてもわかる」ではなく、どこまで近づき、どこから先は踏み込まないのかを確かめ合う必要があるのかもしれません。