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「地元にいたら選べなかった」
Aさんは高知県出身の25歳。両親と姉の4人家族で育った。家庭が特別に困窮していたわけではないが、高校卒業後の進学費用を出せるほどの余裕はなかった。
高校時代、テレビの制作現場に憧れを抱いたAさんは、番組制作を学べる学校を探した。だが、地元にそうした進路はほとんどない現実に直面する。
「高知だと、進学先って本当に限られるんです。学びたいことがあっても、県内にその学校がない。だから出るしかなくて。でも出るってなったら、学費だけじゃなく一人暮らしの費用もかかるので」
地方出身者が抱える構造的な不利がここにある。都市部の学生なら実家から通える選択肢も、地方の学生には存在しない。進学先を選ぶ段階で、学費に加えて住居費や生活費まで必要になるのだ。
東京の専門学校(番組制作系・2年制)への進学を決め、日本学生支援機構の第二種奨学金を申し込んだ。貸与額は月8万円、2年間で総額約190万円。高校時代に手続きの相談をしたものの、実際の申請は専門学校に入学してからだったため、振込も入学後しばらくしてから始まった。
「奨学金が入る口座は、親が管理していました。だから自分は毎月いくら借りていたのか、正直よくわかっていなくて。総額をちゃんと把握したのは、返済が始まってからです」
借りることに迷いはなかったという。学費を払う手段がほかになく、姉も進学時に奨学金を借りており、家族のなかで借りること自体は特別なことではなかった。周りの同級生にも借りている友人は多く、当時、返済の重さについて誰かと真剣に話し合った記憶はない。
「借りないと進学できない、それだけでした」。Aさんは当時をそう振り返る。
卒業直前に夢を諦めた理由
専門学校での2年間、Aさんは番組制作の実務を学んだ。しかし、学ぶうちに業界の現実も見えてきた。撮影は深夜におよび、勤務時間は不規則。体力的にも精神的にも負担の大きい仕事だと実感する――。
就職活動も進めたが、選考が進むにつれてある思いが強くなっていった。
「時間帯が不規則な働き方が、自分には難しいと思ったんです。体調を崩しやすいタイプなので、それで失敗して現場に迷惑をかけるほうが怖くて。学校自体は卒業したんですけど、業界に就職するのはやめました」
進路を変えた結果、専門学校で学んだ技術は職業として活かされないままとなった。手元に残ったのは、約190万円の奨学金という現実。
卒業後は、学生時代から続けていた飲食店のアルバイトをそのまま続けることに。正社員を目指したこともあったが、条件が合わなかったり、社会保険に加入できるだけのシフトに入れなかったりして、長続きしなかった。
「社会保険に入りたいのに、そこまでシフトに入れてもらえないんです。入れないなら辞めるしかなくて、また次を探す。その繰り返しで」
専門学校を卒業しても、すぐに安定した仕事に就けたわけではない。進学時には「卒業して働いて返す」という前提だった奨学金が、進路変更によって生活のなかに残り続けることになった。