夫の定年後、「これからは夫婦でゆっくり」と考える人は少なくありません。しかし、長年それぞれの生活リズムを築いてきた夫婦にとって、急に一緒に過ごす時間が増えることが、必ずしも心地よいとは限らないようです。夫の退職を機に1人の時間を失い、家事の負担まで増えた66歳のユミコさん。そんな彼女が選んだのは、数十年ぶりに「働く」という道でした。事例を見ていきましょう。
あなたは定年、でも私の仕事は増えた…〈年金月23万円〉68歳夫の「悠々自適の老後」に疲れた〈66歳妻〉が選んだ意外な居場所 ※写真はイメージです/PIXTA

夫が定年退職…すれ違う夫婦の気持ち

「これからは時間もあるし、やっとのんびりできるな」

 

夫からそう言われたとき、ユミコさん(66歳・仮名)は曖昧に笑うことしかできませんでした。2歳年上の夫は、長年勤めた会社を退職したばかり。夫婦の年金は合わせて月23万円ほどです。

 

子どもたちはすでに独立し、住宅ローンも完済。老後に備えてある程度の貯蓄もしてきたため、すぐに生活に困る状況ではありません。

 

夫は現役時代、朝早く家を出て、帰宅するのは夜。仕事中心の生活を長く送ってきました。

 

だからこそ退職後は、「ようやく仕事から解放された。これからは妻とゆっくり過ごしたい」と楽しみにしていたといいます。

 

しかし、ユミコさんの気持ちは少し違っていました。

夫が退職して消えた「1人の時間」

夫が会社員だったころ、ユミコさんには長年かけてできあがった生活のリズムがありました。

 

朝、夫を送り出してから家事を済ませ、買い物へ行く。昼食は前日の残り物や簡単な麺類で済ませることもあれば、友人とランチに出かける日もあります。家事が一段落すれば、テレビを見たり、本を読んだり。

 

「特別なことをしていたわけじゃないんです。でも、誰にも邪魔されず自分のペースで過ごせる時間だったんですよね」

 

ところが、夫が退職したその日から生活は一変しました。

 

朝起きても夫がいる。昼になれば夫がいる。夕方になっても、もちろん夫がいる。

 

夫は午後になるとソファに座ってテレビを見て、夕方になれば毎日のように晩酌を始めます。

 

「夫が何か悪いことをしているわけではないんです。長く働いてきたんだから、本人としてはようやくゆっくりしているだけ。でも、私は家の中にずっと誰かがいることが、こんなに疲れるんだって初めて気づきました」

 

「今日のお昼、何?」にイライラ

特に負担だったのが、毎日の食事でした。

 

夫が働いていたころ、平日の昼食を用意する必要はありません。

 

ところが退職後は、朝、昼、晩と3食を夫婦で食べる生活になりました。

 

夫は決して「ちゃんとした料理を作れ」と要求するわけではありません。それでも昼時になると、「今日のお昼、何?」と聞いてきます。

 

ある日、ユミコさんが午前中から出かけようと準備をしていると、夫がいつものように尋ねました。

 

「昼飯、どうする?」

 

その瞬間、ユミコさんは思わず、「知らないわよ。自分で好きなもの食べればいいでしょう」と強い口調で返してしまいました。

 

夫は驚いた顔をして、「ただ聞いただけなのに。なんでそんなに怒るんだよ」と言いました。

 

確かに、夫からすれば「ただ聞いただけ」なのかもしれません。

 

しかしユミコさんにとっては、その一言の背後にある「妻が食事を用意する」という前提そのものが重荷になっていました。

 

夫には「悠々自適」、妻には増えた家事

ある日、ユミコさんは夫に、「あなたが定年になってから、私の仕事は増えたんだけど」と言いました。

 

すると夫は、「俺だってずっと働いてきたんだから、少しくらいゆっくりさせてよ」と返したそうです。

 

ユミコさんも、それには異論はありません。夫が長く家族の生活を支えてくれたことには感謝しています。

 

ただ、夫が「ゆっくりする」ことで、なぜ自分の負担が増えなければならないのか。そのことにモヤモヤしていました。

 

「夫は会社を定年になった。でも、私は何から定年したんだろうって思ったんです」

 

掃除も洗濯も食事作りもなくなりません。むしろ、日中も夫が家にいることで食事や片付けは増えました。

 

そしてユミコさんが「もう限界」と感じたのは、買い物や友人とのランチに出かけようとすると、夫が当然のようについてこようとすることでした。

 

スーパーに行っても、夫はスマートフォンをいじりながら、ただユミコさんのあとをついて歩くだけ。通路で立ち止まり、ほかの客から邪魔そうな目で見られたことも一度や二度ではありません。

 

ある日、「友人とランチに行ってくるね」と伝えると、夫はこう言いました。

 

「じゃあ俺も出かけようかな。近くの喫茶店で待ってるよ」

 

その瞬間、ユミコさんは思わず、「あなたも誰かとランチでもしてきたら? 友達いないの?」と言ってしまいました。