(※写真はイメージです/PIXTA)
前例が消えた日
大手メーカーで33年間働いてきた藤原恒一さん(55歳・仮名)。営業部長として約40人の部下を率いており、年収は約1,400万円。定年は60歳ですが、役職定年制も残っていました。
「55歳で部長を外れる。しかし、何てことない。60歳までは専門職として働ける」
それが会社の当たり前でした。実際、5年前に役職定年を迎えた先輩部長も、営業専門職へ異動し、年収は約1,100万円を維持したまま60歳まで勤務しています。だから藤原さんも、年収は多少減っても住宅ローンを完済し、退職金と合わせて老後資金を整えられると考えていました。
家計にも無理はありませんでした。毎月の手取りは約83万円。住宅ローン残高は約680万円で返済は月11万円。大学4年生の長男への仕送りは月8万円。夫婦2人になれば生活費は月28万円程度まで下がる見込みでした。
「あと5年、このまま走り切ればいい」
その計算が崩れたのは、54歳の秋です。
社長が交代し、中期経営計画が発表されました。柱はジョブ型人事への移行でした。専門職制度は廃止され、関連会社への出向枠も縮小。これまで役職定年後の受け皿だった制度そのものが消える内容でした。
「まさか、自分の代で変わるとは思いませんでした」
藤原さんは、その説明会で初めて不安を覚えたといいます。
翌月から人事面談が始まりました。制度説明、希望確認、異動候補の提示、最終確認、そして、早期退職制度の説明――会社は一つずつ記録を残すように丁寧に進めました。
面談に同席した本部長は42歳でした。営業改革プロジェクトを成功させ、海外赴任も経験した執行役員候補です。実は、藤原さんが新人時代から育てた元部下でもありました。
「藤原部長には、本当にお世話になりました」
そう切り出した本部長は、少し間を置いて続けます。
「ただ、新しい制度では管理職経験だけでは配置先を用意できません」
責められているわけではありません。しかし、その一言が重く響きました。妻は以前からニュースを見ながら話していました。
「あなたの会社も最近、制度が変わるって言ってなかった?」
その時は深く考えませんでした。しかし、面談を重ねるたびに状況は見えてきます。提示された職種はいずれも人数が限られ、希望者が集中していました。数週間後、人事担当者から告げられます。
「早期退職制度もご検討いただけます」
その瞬間、藤原さんは会社に残る道が細くなっていることを理解しました。
人事院の『令和5年民間企業の勤務条件制度等調査』によれば、部長級の役職定年後の配置は「同格のスタッフ職」が42.1%、「格下のスタッフ職」が34.4%と大半を占める一方で、「出向・転籍」はわずか1.0%と社外の受け皿は非常に限定的です。
しかし近年はジョブ型雇用の導入などにより、過去の「前例」が突然通用しなくなるケースが増えています。「役職を外れても定年まで安泰」という保証が崩れつつある今、ミドル・シニア層には会社に依存しないキャリアの再構築が急務となっています。