厚生労働省『令和6年簡易生命表』によると、60歳男性の平均余命は23年以上。定年後も夫婦で過ごす時間は長くなりますが、その期間が必ずしも「第二の人生」として共有されるとは限りません。退職金や年金の受け取りを機に、長年積み重なった夫婦の距離が表面化するケースも増えています。ある一組の夫婦を通して、その実態をみていきます。
「長い間、お疲れさまでした。これからは自由に生きましょう」〈退職金2,000万円〉60歳エリート夫、妻が選んだ「でも離婚はしない」の残酷に撃沈 (※写真はイメージです/PIXTA)

お互い自由…でも離婚しない理由

美代子さんが離婚を選ばなかった背景には、現実的な計算がありました。

 

夫が65歳になれば、厚生年金を含む年金収入は月20万円程度になる見込みです。一方で妻自身の年金は基礎年金にほんのわずかな厚生年金がプラスされた月8万円ほど。離婚すれば年金分割は受けられても、住居費や医療費を単独で負担する不安が残ります。

 

一方、同居を続ければ固定資産税や火災保険、水道光熱費を分担できます。自宅は築24年の戸建てで、固定資産税は年14万円。光熱費は月2万8,000円前後でした。

 

「経済的には一緒にいるほうが得。長い老後を考えたら、同居を続けるほうが望ましい」

 

美代子さんはそう説明したといいます。

 

浩一さんは当初、時間が解決すると考えていました。ところが状況は逆でした。退職から3カ月後、浩一さんは旅行のパンフレットを持ち帰りました。美代子さんは一度も目もくれなかったといいます。

 

現在、自分のものは自分で作るというスタイル。冷蔵庫にはそれぞれの名前を書いた棚ができました。基本的にそれぞれの部屋で過ごし、リビングでともに過ごす、ということもありません。

 

光熱費や固定資産税の積立などは均等に払いますが、通信費は完全に別。食事を弁当か外食で済ませている浩一さんは、月5万~6万円程度が食費で消えていくそうです。夫婦は家庭内でほとんど会話をしなくなりました。必要事項はキッチンのメモで伝え合います。

 

ある晩、浩一さんはふと「俺たちは、これからどうなるんだ」と口にしたといいます。美代子さんは食器を片付けながら、「自由にやってきたんだから、今まで通り、自由を楽しんだらいいんじゃない」と答えたそうです。

 

厚生労働省『人口動態統計』によると、2025年における全国の同居期間20年以上の「熟年離婚」件数は、約3万9,000組。これは離婚全体の約4組に1組にあたります。

 

「離婚なら終わりだと理解できる。同じ家にいても毎日『夫婦ではない』と突きつけられるのはつらい」

 

同じ家にいながら、心の距離は埋まらない――離婚という明確な決別を選ばず、「同居人」として暮らしていく選択は、時にそれ以上の孤独をもたらします。定年後の長い人生、夫婦の絆を維持するためには、現役時代からの積み重ねこそが何よりの原資なのかもしれません。