厚生労働省『令和6年簡易生命表』によると、60歳男性の平均余命は23年以上。定年後も夫婦で過ごす時間は長くなりますが、その期間が必ずしも「第二の人生」として共有されるとは限りません。退職金や年金の受け取りを機に、長年積み重なった夫婦の距離が表面化するケースも増えています。ある一組の夫婦を通して、その実態をみていきます。
「長い間、お疲れさまでした。これからは自由に生きましょう」〈退職金2,000万円〉60歳エリート夫、妻が選んだ「でも離婚はしない」の残酷に撃沈 (※写真はイメージです/PIXTA)

退職金も老後資金も半々にして個人で管理

「長い間、お疲れさまでした。これからは自由に生きましょう」

 

2026年3月末。都内の大手メーカーで部長職を務めていた安藤浩一さん(60歳・仮名)は、定年退職の日に妻の美代子さん(58歳・仮名)からそう声をかけられました。

 

勤続38年。退職金は約2,000万円。企業年金を含めると、65歳以降の年金見込み額は夫婦合計で月28万円程度。住宅ローンの残高は520万円で、退職金で一括返済する予定でした。

 

浩一さんは「これでようやく夫婦でゆっくりできる」と考えていました。

 

「若いときに、日本一周をしたいと話していたときがあった」

 

そのような夢も定年後なら叶えられる――そう考えて、3カ月ほどかけて国内を旅する計画を立てていたといいます。ところが退職から2週間後、美代子さんは家計簿と通帳を並べてこう切り出しました。

 

「離婚はしません。でも、これからはお互い自由に生きていきましょう。あなたはそうやって生きてきたんだから」

 

浩一さんは意味がわからなかったと振り返ります。美代子さんが提示した条件は明確でした。退職金2,000万円と、老後を見据えて資産運用してきた金融資産3,000万円は夫婦で等しく分け、それぞれが管理する。日々の財布も別々、料理や掃除、洗濯などの家事も、それぞれが行う――。

 

「これまでと何も変わらない。ただ、きちんと線引きをしましょう、ということ」

 

浩一さんは営業畑一筋。40代からは平日は地方に出張、土日に帰宅し、また月曜日に地方に向かうという生活を10年ほど続けました。土日は家族サービスというわけではなく、そこで仕事や会社での人付き合いを優先してきたといいます。

 

「家のことを妻に任せていました。変に口を出さないほうが、色々とやりやすいだろうと思っていました」

 

一方で、「家族のために働いてきた」という自負は強くありました。年収は1,200万円を超え、夫(父)が不在であっても、不自由はさせなかったと考えています。

 

しかし美代子さんには別の記憶が残っていました。

 

「必要なときに、いつもいなかった」

 

長男の大学進学、次男の就職、義父の介護。重要な場面で浩一さんは不在でした。しかし定年後、浩一さんは毎日自宅にいるようになります。朝6時に起床し、新聞を広げ、食卓で話しかける。浩一さんとしては、定年を機に仕事だけの日々に区切りをつけ、夫婦の時間を楽しもうとしていました。しかし、定年を機に急に夫婦面はできない、というのが美代子さんの答えだったのです。

 

「私の人生に、急に入ってこられても困るの」

 

厚生労働省『令和6年簡易生命表』によると、60歳男性の平均余命は23年以上あります。浩一さんと美代子さんの間には、長い老後の過ごし方に大きな隔たりがあったのです。