(※写真はイメージです/PIXTA)
「人は変わらない」という諦め
夫の「施設にでも入れればいいじゃん」という軽い言葉に、ケイコさんは大きなショックを受けます。
「そんな簡単にいわないで。私にとってはたった一人の母親なのよ。少しは私の気持ちを考えて、一緒に悩んでくれてもいいじゃない」と訴えたそうです。
しかし、カンタさんは「感情論をいっても始まらないだろ。東京と地方を往復するなんて、体力的にも費用の面でも非効率だ。プロに任せたほうがお義母さんのためにもなるし、俺たちのこれからの生活だってある」と返しました。
カンタさんにしてみれば、ただ「合理的で正しい解決策」を提示しているつもりでした。しかし、「俺たちの生活」といいながら、そのなかにケイコさんの母親への思いや、ひとりっ子としての責任感はカウントされていませんでした。
「効率の問題じゃない。私はお母さんのそばにいてあげたいの」というケイコさんに対し、カンタさんは「そんなのただの自己満足だろ」とため息をつきます。
平行線のまま終わった口論を通じて、ケイコさんのなかで、これまでの夫への信頼が崩れてしまいました。夫が彼自身の家族と淡白な関係だったのは、単に「そういう性格だから」「そういう家庭で育ったから」だと思っていました。しかし、自分が心から悩んでいるときにすら、そのドライさを押し付け、他人の家族のことのように切り捨てる——。その姿勢に、ケイコさんは夫の根底にある「他者への決定的な冷淡さ」を見て取ったのです。
「この人だって母には世話になったはずなのに、なぜこうもあっさりいえるんだろう。この冷淡さはこれから先、私たちが老いていくなかでも決して変わることはないんだろうな」そう悟ったとき、ケイコさんの心の中で、カンタさんと夫婦であり続ける意味がわからなくなったそうです。これまでの仲の良さは、大きなトラブルが起きなかったからこそ維持されていた表面的な平穏に過ぎなかったのだと気づいたといいます。
その後、ケイコさんは実家の母の介護を理由に東京の家を出ていきました。カンタさんは「頭が冷えれば戻ってくるだろう」と思っていたそうですが、ケイコさんが戻ることはなかったのです。実家に着いたケイコさんから届いたのは、夫婦関係を清算したいという別れの意志を綴った手紙でした。
二人でだから成り立っていた老後のマネープラン
老後資金が2,100万円あり、月23万円の年金が受け取れるという状況は、夫婦二人が一つの世帯として生活をともにするうえでは、一定の安定した経済基盤といえるでしょう。しかし、別居や離婚という形で世帯が分断されると、それぞれのマネープランは一変することになります。
感情的な対立の末の「別居」という現状は、経済的な観点からみると、不経済なコストを生み出します。夫婦が別々に暮らすとなれば、東京のマンションの維持費に加え、地方での生活費など、生活コストは二重にかかるように。このまま正式な離婚へと進むことになれば、さらにシビアな資産の清算が待ち受けているのです。
まず、最大の資産である「東京の持ち家」の扱い。このマンションは夫婦の共有名義となっています。しかし、離婚となればこの共有状態を清算しなければなりません。マンションを売却して現金をそれぞれの持分に応じてわけるか、あるいはどちらか一方がそのまま住み続ける場合は、もう一方の持分を買い取るための「代償金」を支払う必要があります。66歳という年齢で、手元の現金から数百万円から数千万円規模の代償金を支払ったり、新たな住まいを探して買い直したりすることは、双方の老後資金を圧迫する要因となるでしょう。
次に、毎月の生活を支える年金の問題です。共働き夫婦が離婚する場合、婚姻期間中にお互いが納めた厚生年金の保険料納付実績を合算し、それを2分の1ずつに等分する「合意分割」という手続きが行われます。現役時代の二人の収入には開きがあり、カンタさんのほうが多く稼いでいたため、その差額分がケイコさんへと分割され、カンタさん個人の受給額は減少することになります。夫婦合わせて23万円あった年金はそれぞれの個人の取り分へと分断され、もしカンタさんが単身で東京のマンションに住み続ける場合、目減りした年金だけで管理費や修繕積立金、日々の生活費を支払っていくのは容易なことではありません。
老後資金2,100万円も同様に折半となるため、それぞれが1,000万円程度の手元資金でこれからの高齢期を単身で生き抜くことになります。「二人で合わせるからこそ維持できていた暮らし」は、関係の清算によって、一転して経済的なリスクへと変わるのです。
介護の非効率を嫌って「一番コスパのいい解決策」を選んだつもりが、自分の家も年金もきれいに半分にカットされ、人生で一番高い授業料を払うことになってしまう——。そんな皮肉な結末といえそうです。
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