(※写真はイメージです/PIXTA)
「迷惑をかけたくない」という拒絶
佐藤さんはその日、母親をなだめて近くのコンビニエンスストアで購入した温かい食事を摂らせました。翌朝、詳しく事情を聴こうとしましたが、和子さんは一転して頑なな態度を取り始めます。
「お金がないわけじゃない。自分で全部できるから、もう来なくていい」
和子さんはそう繰り返すばかりで、佐藤さんが部屋の片付けや経済的な支援を申し出ても、一切の介入を拒絶しました。電話口で嘘をつき続けていたのは、実家の惨状を知られたくなかったからでした。
内閣府『令和3年度 高齢者の日常生活・地域社会への参加に関する調査』では、高齢者が日常生活上の不安や困りごとを抱えた際、頼りたい相手として「子ども」を挙げる割合が高いことが示されていました。一方で、同府の高齢社会対策関連調査では、「家族に迷惑をかけたくない」という意識も高齢者に広くみられ、支援を必要としていても援助要請をためらう傾向がうかがえます。和子さんのケースでも、子どもを頼りにしたい気持ちを抱えながら、負担をかけまいとして生活困窮や健康状態の悪化を周囲に打ち明けられなかったと考えられます。
佐藤さんが和子さんの通帳を確認したところ、残高は数万円にまで減少していました。父親の遺した貯金や年金だけで暮らしていたものの、医療費の増加や物価高騰が家計を圧迫し、生活費を極限まで切り詰めざるを得ない状況に追い込まれていたのです。しかし、プライドと息子への遠慮から、和子さんは自らSOSを発することができませんでした。
このような、生活維持の意思や能力を失い、自らを危機的な状況に追い込んでしまう状態を「セルフネグレクト(自己放任)」と呼びます。セルフネグレクトは、単なる「だらしなさ」や「個人の好みの問題」ではありません。その背景には、深刻な孤立と経済的困窮が潜んでいます。
近年のセルフネグレクト研究では、身体機能の低下や認知症、精神疾患、配偶者との死別などの生活環境の変化が発症要因として指摘されています。また、支援対象者には他者からの介入を拒否する傾向もみられ、地域包括支援センター等による継続支援の困難さが課題であり、特に独居高齢者では、社会的孤立と健康悪化が複合的に進行しやすいことが報告されています。
佐藤さんもまた、母親との関係性が悪化することを恐れ、一時はどう対応すべきか途方に暮れたといいます。
「いくら片付けようと言っても、本人は怒るばかりで。完全に平行線でした」
事態が好転したのは、佐藤さんが地域の「地域包括支援センター」に相談したことがきっかけでした。地域包括支援センターは、社会福祉士や保健師、主任ケアマネジャーなどが在籍し、高齢者の暮らしを総合的に支える自治体の機関。相談を受けたセンターの職員は、まず「地域の見守り巡回」という名目で和子さんの自宅を定期的に訪問してくれるようになりました。当初、和子さんは職員に対しても警戒心を露わにしていましたが、何度も足を運ってもらううちに、母の態度が少しずつ軟化していったといいます。
そして訪問開始から2カ月後、センターの仲介によって介護保険の申請が行われ、週に2回の訪問介護(ヘルパー)が導入されることに。同時に、医療費の負担軽減制度や、適切な家計管理へのサポートも開始されました。
現在、和子さんの自宅はヘルパーの手によって衛生的な環境が保たれており、1日3食の規則正しい食事が提供されています。