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高齢層が直面する「機会損失」
加藤さんのように、損失を恐れるあまり「不作為の損失」を被る高齢者は少なくありません。日本証券業協会『新NISA開始後の利用動向に関する調査(2025年公表分)』などによると、昨今のNISA制度を利用した資産運用において、60代は「将来・老後の生活資金」を目的とする割合が54.1%と高く、退職金などのまとまった資金を活用して投資を行っている点が特徴です。
60代の平均金融資産保有額は約2,368万円と全体平均(約1,604万円)を大きく上回っており、ゆとりある資金を背景に運用を行っています。特に成長投資枠での一人あたりの平均購入金額は115万円に達し、他の年代と比較しても高水準です。しかし、金融経済教育を受けた経験がある割合は17.0%に留まっており、加藤さんのように「何を信じていいか分からない」という層が一定数存在するのも事実です。
そのような状況下、現在の日本はデフレ脱却からインフレ局面へと移行しています。たとえば、年間2%の物価上昇が続けば、現金の価値は10年で約18%目減りします。銀行預金の利息が0.1%程度に上昇したとしても、インフレ率を下回れば、実質的には資産が目減りしている状態です。
金融庁の試算によれば、国内外の株式や債券に分散投資を行い、長期保有を継続した場合、収益率は年平均2%〜8%に収束する傾向があります。2024年から2026年にかけての市場環境では、欧米の株価指数が過去最高値を更新する場面も多く、この期間に投資を行わなかったことによる「機会損失」は、資産規模が大きい定年世代ほど深刻な額になります。
加藤さんが同期の佐藤さんから見せられた「1,300万円の運用益」という現実は、単なる数字以上の重みを家庭に持ち込みました。帰宅後、加藤さんは妻の陽子さん(60歳・仮名)にこの事実を話しましたが、妻の反応は予想外に厳しいものでした。
「実は新NISAが始まる前から、妻には『少額からでも始めたらどうか』と提案されていたのです。それを私が『素人が手を出すと火傷をする』と一蹴していました。話を聞いた妻からは、『私の言葉ではなく、他人の成功を見てから悔しがるのね』と、冷ややかな言葉をかけられました」
かつては「3,000万円あれば安泰」と信じて疑わなかった加藤さんですが、現在はインフレで目減りしていく現金の価値と、同期との間に開いた決定的な格差、そして何より「家族の助言を無視した」という自責の念に苦しんでいます。
「もし2年半前に、月1万円からでも始めていれば、これほど悔やむ気持ちにはならなかったはずです。リスクを避けたつもりが、取り返しのつかないことをしてしまった気がします」
高齢期における資産運用で最も考慮すべきは、残された時間の制約です。しかし、加藤さんの事例が示す通り、まったく動かないことによる「機会損失」もまた、老後の生活品質を左右する大きな負債となり得ます。自身の許容範囲を見極めつつ、家族と情報を共有しながら一歩を踏み出す重要性が高まっています。