9日目、Uターンラッシュのニュースを横目に

滞在9日目の朝、テレビのニュースでは「Uターンラッシュが始まりました」と報じていました。義男さんは健二さんに尋ねます。

「今日あたり帰るのか?」

返ってきたのは「んー、もうちょっとゆっくりしようかな」という気の抜けた返事。パジャマ姿で寝転ぶ健二さんに、帰る気配は一切見えません。(まさか、帰らない気か? このまま帰らなかったらどうしよう……)と義男さんは不安に駆られてしまいました。

結局、健二さんが荷物をまとめたのはGW最終日。11日間の長い帰省でした。「じゃあね。ありがとね」と去っていく次男を見送ったあと、和子さんはぽつりとつぶやきました。

「……疲れたわね」

義男さんも深く頷きます。義男さんは、お金のことをうるさくいいたくはないと思いながらも、この11日間でいくら使ったのか、と気が重くなりました。

取り崩し期に入った家計の「見えない重し」

筆者は普段、現役世代を中心に家計設計の相談を行っていますが、リタイア前後の方からは「資産の取り崩し」に関する相談を受けることもあります。

資産の取り崩しには、独特の恐怖を伴うものです。給与収入があったころなら気にならなかった出費が、急に重く感じられるようになるケースは珍しくありません。11日間、義男さんがなにもいえなかったのは、親としての優しさだけではなかったのでしょう。

現役時代は、多少の出費も「来月の給料で取り戻せる」「ボーナスがあるから大丈夫」と思えました。しかし年金生活では、昇給もボーナスもありません。貯蓄は、使って減ることはあっても、増やすことは現実的に考えると困難なケースが多いです。特に、予定していなかった支出に直面したとき、予定していた資金計画が大きく崩れたように感じ、不安が募りやすいものです。

義男さんが感じていた居心地の悪さの正体も、こうした切実な危機感だったのではないでしょうか。「お金のことは気にしたくない」という思いがあればなおさらです。不安を直視することは難しいのかもしれません。だからこそ「帰ってほしい」ともいえず、「いてもいい」ともいいきれず、11日間が過ぎていきました。

「暮らしの方針」がないと、判断ができない

では、義男さん夫婦はどうすればよかったのでしょうか。健二さんに「いつ帰るんだ」と迫っても根本的な解決にはなりません。夫婦に必要だったのは、自分たちの暮らしの方針を持っておくことでした。

・自分たちの暮らしで大切にしたいことはなにか。

・月々の生活費としてどのくらいの水準を守りたいか。

・家族への支援はどこまでと考えるか。

・年間の取り崩し額として、どの程度までなら安心でいられるか。

こうした基準がかたちになっていれば、それが判断材料になります。「ここまでは喜んで迎えるけれど、ここからは相談しよう」と自分の中で線引きすることができるようになるのです。ささいなことで不安に振り回される場面が減っていくでしょう。

こうした方針を書き出すツールの一つとして、筆者はエンディングノートをお勧めしています。エンディングノートというと「遺書」や「相続対策」をイメージされる人も多いですが、これからの暮らしをどうしたいかを整理するために使えます。元気なうちに、自分たちの希望を自分たちの言葉で書いておくことで、暮らしの舵取りを自分たちの手に取り戻す糸口となります。