長年、家庭を守ってきた専業主婦が、ある時期を境に自身の経済的な在り方を見つめ直す――。自立への一歩を踏み出したある女性のケースから、経済的権利の重要性と人生の選択肢に及ぼす影響について考えていきます。
生まれて初めて貯金しました…52歳専業主婦、「自分名義の貯金通帳」にうっとり。時給1,030円でも「人生で一番幸せ」の理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

52歳女性、生まれて初めて預金通帳をつくるまで

田中加奈子さん(仮名・52歳)が、自分名義の銀行口座を初めて開設したのは、家を出てから1週間後のことでした。

 

自営業を営む両親のもとで育った加奈子さん。高校卒業後はそのまま実家の家業を手伝う形となり、決まった給料を受け取る習慣はなかったといいます。日々の生活に必要な分をその都度、両親から手渡される生活が20代半ばまで続きました。

 

結婚後も、その構図は変わりませんでした。会社員の夫は「家計は自分が管理する」という方針を強く持っていました。毎月1日の朝、夫から生活費の入った茶封筒を受け取ることが、25年間の決まり事でした。

 

中には食費と日用品費として12万円が入っていました。加奈子さんはその範囲内でやりくりをし、1円単位で家計簿をつけ、毎月末に夫の検印を受ける必要がありました。

 

子どもたちが成長し、正月にお年玉をもらうようになると、夫は子どもたちのためにそれぞれの名義で貯金通帳を作りました。子どもたちが自分の通帳を手に「これだけ貯まった」と喜ぶ姿を見ながら、加奈子さんは自身の状況を再確認しました。

 

「そういえば、私は生まれてから一度も、自分の名前の通帳を持ったことがない」

 

その事実に気づいたとき、自分だけが家族の中で経済的な実体を持っていないような感覚を覚えたといいます。子どもが大学を卒業して独立したのを機に、加奈子さんは「パートに出て働きたい」と夫に相談しました。社会との接点を持ち、自分でお金を稼いでみたいという意図でしたが、夫の反応は拒絶でした。

 

「今の生活で何が不自由なんだ。僕の稼ぎが足りないと言いたいのか。家を空けてまで小銭を稼ぐ必要はない」

 

夫はそう言い切り、相談は打ち切られました。その後も何度か話題に出しましたが、そのたびに夫は不機嫌になり、生活費の封筒を机に叩きつけるような仕草を見せるようになりました。

 

「私の望みは、自分だけの力で立ってみたい、というささやかなものでしたが、そんなことも許されないのかと軽い絶望感を覚えました」

 

その後も何度も夫に頭を下げましたが、態度は硬化するばかり。手を上げられそうになったこともあったといいます。加奈子さんは、このままでは自分の意志で何かを選択することが一生できないと考え、サインして提出するだけの離婚届を置いて家を出ました。

 

夫が仕事に出ている間に最低限の荷物をまとめ、あらかじめ探していた住み込みの清掃員の仕事先へと向かいました。時給は加奈子さんが住む自治体の最低賃金に近い時給1,030円。加奈子さん、それが安いのか高いのかさえ、わからなかったといいます。そして家を出てから数日後、給与の振込先として指定された銀行の窓口に座った際、担当者から本人確認書類の提示を求められました。

 

「ご本人様名義の口座でお間違いありませんか」

 

その問いに「はい、間違いありません」と答えた瞬間、加奈子さんは自身の存在が初めて公に認められたような心持ちになったと振り返ります。

 

1ヵ月後、初めての給料が振り込まれました。通帳に印字された「165,000円」という数字は、初めて得た労働の対価。加奈子さんはその通帳を手に、ATMの前で立ち尽くしました。

 

「私だけのお金なんだ……」

 

それは、52歳にして初めて手にした、自身の人生に対する確かな手応えだったといいます。

 

「この瞬間が人生史上、最高に幸せだったかもしれません」

 

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