(※写真はイメージです/PIXTA)
長年の感謝を形に
地方自治体での長年の勤務を終え、照義さんは定年を迎えました。真面目一筋に勤め上げた彼に支払われた退職金は2,600万円。公務員の退職金もかつてに比べれば減少傾向にあり、これからの何年続くかわからない老後を支える貴重な原資です。
帰宅した照義さんは、緊張した面持ちで、舞子さんに小さなベルベットの箱を差し出しました。
「舞子、これまで俺を支えてくれて本当にありがとな。これ、感謝の印だ」
蓋を開けると、そこにはダイヤモンドが光り輝く指輪が収まっていました。舞子さんはその輝きを前に、ただただ声が出ませんでした。
舞子さんの視線は、指輪から自分の手元、そして足元へと移りました。長年の家事で節くれだった指、デパートのセールで数年前に買ったくたびれた靴下。クローゼットに並ぶのは、スーパーの買い物や近所の友人とのランチに着ていくような、清潔感はあるものの至って控えめな服ばかりです。
(こんな派手な指輪に見合うようなドレスも、バッグも、靴も、私には一つもないのに……)
「これを着けて、秋には豪華客船のクルーズに行こう。俺、ずっと憧れてたんだ」
嬉々として語る照義さんの言葉が、舞子さんの耳には空虚に響きます。彼女は一度もクルーズに行きたいなどといったことはありません。彼女が本当に望んでいたのは、たまに二人で美味しいものを食べに行ったり、古くなったキッチンを少し使いやすくリフォームしたりするような、地に足のついた少しの贅沢でした。
この指輪は、舞子さんの好みでも、舞子さんの生活を思って選ばれたものでもありません。「高価な指輪を贈る、度量のある夫」という照義さんの自己満足の象徴に過ぎませんでした。舞子さんが声を出せなかったのは、40年近く家族のために尽くしてきた自分の日常を、夫がこれほどまで「見ていなかった」ことに気づいてしまったからです。
