介護離職後の過酷な現実

そうして、早期退職を選んださゆりさん。これで生活は楽になるかと思いきや、現実はそう甘くありませんでした。

会社を辞めると、さゆりさんの毎日は家事と介護だけ。友人や会社の人とまともに話す機会もめったになく、社会からの孤立と閉塞感を感じるようになりました。

当時の坂崎家の収入は、多江さんの年金7万円のみです。目減りしていく残高を見るたびに焦りが募ります。

ただ、多江さんの状態を考えると長時間家を空けることは現実的に難しく、思い悩んでいました。

そんなある日のこと。自宅のポストに投函された折込チラシのなかに「有料老人ホーム入居者募集」の知らせが入っていることに気づきました。その施設は自宅近くにあり、比較的新しくきれいな建物です。

「これだ!」

さゆりさんはすぐに、多江さんに相談。すると多江さんも、自分のせいで娘に辛い思いをさせていることを引け目に感じていたのか、老人ホームへの入居を二つ返事で了承してくれました。

しかし、民間の老人ホームの費用はそれなりにかかり、多江さんの年金と預金だけではとうてい足りません。悩んださゆりさんは、思い切って自宅を売却し、施設の入居費用にあてることにしました。

家に帰りたい…八方ふさがりの状況に絶望

そして、多江さんが老人ホームに入居してしばらくは平穏な日々が続きました。さゆりさんは施設近くの賃貸マンションに移り住み、再就職へ向けて忙しく動く日々です。

「調子どう?」「周りの人と仲良くやれてる?」週に2度は面会に行き、他愛ない会話を交わしていたさゆりさんですが、ほどなくして母の元気がなくなっていくことに気がつきました。

「ちょっと元気なさそうだけど、どうしたの? 体調悪い?」

すると、多江さんは言いました。

家に帰りたい……

理由を聞けば、施設は綺麗だけれど、介護職員と馬が合わず辛いと訴えます。

しかし、自宅を売ってしまった手前、帰りたくても帰る家はありません。いまのさゆりさんの住まいは1LDK。室内に段差もあるため、賃貸マンションで一緒に暮らすことも不可能です。

さらに、さゆりさんには経済的余裕もありません。50代での再就職活動は厳しく、とりあえず派遣社員として働いているものの、収入は前職の3分の2程度です。

多江さんがいま老人ホームを退去すれば入居一時金の一部は返金されます。しかし、一緒に暮らせば再びさゆりさんの負担が増すことは明らかです。

涙を流す多江さんに向かって、さゆりさんは「お母さん、ごめん。帰れないの……」となだめるしかありませんでした。