病院の待合室で漏れた“限界寸前”のため息

――あっ……わたしもう、無理かも。

加賀みやこさん(仮名・65歳)は、大学病院の待合室でふいに絶望感に襲われました。

今日は2週間に1度の、母・トキさん(仮名・90歳)の通院日。全面介助が必要なトキさんのために数年前から付き添っていますが、近頃疲労がたまり、みやこさんは“限界寸前”です。

離婚後、実家に出戻った娘

みやこさんは一人っ子で、現在独身。25歳で結婚したものの、40歳のときに離婚しました。子どもはおらず、離婚してからは実家でトキさんと2人暮らしです。なお、みやこさんの父親は30年前、みやこさんが35歳のときに他界しています。

2人暮らしが始まった当時、母のトキさんは65歳でした。健康に問題はなく、家事のいっさいを引き受けてくれたことから、みやこさんはフルタイム勤務でバリバリ働くことができていました。

しかし、トキさんが脳梗塞で倒れたことにより、生活は一変します。

仕事と家事、介護に全力投球の日々

トキさんはなんとか一命をとりとめたものの、後遺症が残り右半身が不自由に。以後、みやこさんは、自身の仕事と家事、母への介護に奮闘する毎日がスタートしました。

みやこさんはまず、介護のため正社員の職を手放し、近所のクリーニング店でのパートをはじめました。収入は減りましたが、仕方がありません。

しかしそれも、トキさんの介助が必要な場面が増えてきたことから難しくなり、結局65歳の年金がもらえるタイミングでパートも辞め、現在は職に就いていません。

トキさんは食事やトイレなど常に付き添いが必要で、3日に1回のお風呂も全面介助です。

現在「要介護4」の介護認定を受けていますが、利用している介護サービスは週に1度のデイケアだけ。

みやこさんは「自分が家にいるのに在宅サービスを受けるのも気が引ける」と、介護を人に任せることに罪悪感があり、デイケア以外はすべて自分で母の介護に向き合っています。

現在の収入は2人の年金のみ。トキさんには「遺族厚生年金」の支給があるため、いまのところ生活に困るということはありませんが、みやこさんは不安が拭えません。

「お母さんが亡くなったら、どうやって生きていけばいいの……?」