10年前、55歳で離婚を決断。家を飛び出した女性の誤算

「もう無理。あなたとは一緒の空間にいられません」

55歳のとき、和代さん(仮名・65歳、埼玉県在住)は20年以上連れ添った夫にそう告げ、最低限の荷物だけを持って家を出ました。

夫婦関係は長年冷え切り、ほぼ家庭内別居の状態。老後のために積み立てていた個人年金保険を夫が一言の相談もなく解約していたことが決定的となり、問い詰めても理由を話さない夫との関係は限界を迎えていました。会話のない食卓、週末は険悪な空気――。「この家にいると呼吸ができない」と感じるほど、精神的に追い詰められていたといいます。

当時大学生だった娘の教育費は、「最後まで責任を持つ」と夫が約束してくれました。和代さんは「これで自由になれる」と信じて離婚を選びました。

しかし――最大の誤算は"お金"でした。

結婚後は20年以上専業主婦。55歳からの再就職は想像以上に厳しいものでした。総務職のパートは書類選考で落とされ、飲食店では実質的に“若い人を優先したい”という断られ方をしました。ハローワークに通っても、「経験不足」「年齢的に難しい」という返答ばかり。

ようやく採用されたのは、時給980円のスーパーのレジ。週5日・1日5時間で月収は10万円ほど。離婚直後は収入が少なく、国民年金保険料は5年間、全額免除にしてもらいました。「目の前の生活で精一杯で、将来の年金が減ることまで考えられなかった」と振り返ります。

離婚時に受け取れたのは、夫の厚生年金の一部を分けてもらう「年金分割」だけ。夫名義の預金や保険、持ち家などは一切受け取れませんでした。

ただ、和代さんには"最後の頼り"がありました。50代前半に父が亡くなり、その際に相続した300万円と、実家の存在です。「いざとなれば、実家に戻って母と暮らせばいい」と思っていたといいます。

しかし離婚からほどなくして、母の認知症が急速に進行。施設入居が必要となり、実家と母の資産管理は同居していた弟夫婦が担うことに。「離婚しても、困ったときは実家に戻れる」――和代さんの想定は完全に崩れました。

「気づいたら、私には帰れる場所がどこにもないんだと痛感しました」