父の姿からサラリーマンとしての成功は「長く勤めて出世すること」だと信じていた。しかし、同僚と上司の言葉に常識が覆される――。30歳目前でサラリーマン生活に終止符を打ち、"どこでも生きていける"ための個人事業をスタート。現在は世界を旅しながら2児を育てる森翔吾氏の著書『すべては「旅」からはじまった 世界を回って辿り着いた豊かなローコストライフ』(KADOKAWA)より一部を抜粋・再編して、著者が退職を決意した理由を見ていきましょう。
「会社員のままじゃ暮らしていけない…」29歳男性が脱サラを決意した「年収600万円を稼いでも貯金は0円」絶望のシミュレーション
父の教えは成功=「サラリーマンとして出世すること」
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僕がサラリーマンになったのは、22歳の春だった。ワーキング・ホリデー・ビザで1年半滞在したカナダから戻り、パソコンスキルをアピールして東京にある大手広告代理店の下請けプロダクションに就職した。
その会社では、駅に貼る広告や電車の中吊り広告の制作と施工がメインで、美術展で販売するミュージアムグッズの制作などもやっていた。
そう紹介するとカッコ良く聞こえるが、終電後に駅の広告や車内吊りを貼る仕事は深夜残業が多く、ミュージアムグッズチームは、社内の数少ない印刷機を使うために早出をして制作を行うような小さな会社だった。
入社後は黙々と深夜に広告を貼り、しばらくしてミュージアムグッズチームに配属されると、朝4時に自宅を出て夜7時に帰宅し、休日出勤も当たり前の毎日を送りながら、黙々とグッズを制作していた。
仕事はそこそこ面白いが、労働環境的には厳しい。深夜残業が続いても半休や代休は取れず、ほとんどの人が会社で寝て、翌日は普通に仕事をしていた。有給休暇は親族の結婚式や葬儀などの特別な理由がない限り取れないので、病気にもなれない。でも僕は、この業界ではそれが当たり前なのだろうと思っていた。
なぜかというと、僕の父親もよく働くサラリーマンだったからだ。世界に冠たるトヨタのお膝元・愛知県で、その関連会社に勤務していた。同じ会社で40年間勤め上げた父親は、僕がサラリーマン生活を始めるときにこうアドバイスをしてくれた。
「一生その会社で働く気で、頑張れよ!」と。そんな親に育てられた幸せな人生、成功のイメージは、成功=「サラリーマンとして出世すること」だった。
成功=大企業に入社して、役職に就き、良い給料をもらい、良い車に乗り、綺麗なマンションに住むこと。僕と同年代の多くは、そう考えていると思い込んでいた。
ところが、入社して1年半が過ぎた頃、同じ時期に入社した2歳年上の同僚は、僕にこう言ったのである。
「残念ながら、これがサラリーマンってもんなんだよ」と言われて
「ねぇ森くん、一緒に会社を辞めない?」
「はぁ????」
それまで、就職をしたら同じ会社で勤め上げるのが正しいと思っていた自分の常識が、ぶち壊された瞬間だった。すでに昭和ではないので、転職は当たり前になっていた。しかし、仕事や会社が嫌だからといって簡単に辞めていいとは思っていなかった。
「森くん、一緒に会社を辞めない?」と言った同僚は、都内の一等地に実家があり、両親や祖父母は会社経営者。辞めても何とかなるバックボーンがあった。
一方の僕は、地方から上京してきた身であり、物価の高い東京の狭いアパートでカツカツの生活をしている安月給取りである。そんな自分が会社を辞めたらどうなるか。路頭に迷うだけだ。
辞めるなんてとんでもないと思っていたが、結局、「辞めない?」と言われた数カ月後に、僕は正社員として初めて勤めた会社を1年半で退社した。
きっかけは、会社の全体ミーティングで、僕が「深夜作業をした人はホテルに泊まるか、翌日を休暇にしたほうがいいんじゃないですか?」と提案したことだった。
「何を言っているんだ! 経験もない奴が口出しするな!」と社長に怒鳴られくさる僕を、先輩がフォローしてくれたのだが、たまたま会社の飲み会で先輩と帰りの電車が同じになり、こんな会話をした。
「先輩は、深夜まで働いて疲れないんですか? しかも、会社の床で寝るっていうのは普通じゃない……」
「森くん、君の気持ちはよくわかるけどね、残念ながら、これがサラリーマンってもんなんだよ」
その先輩の物悲しそうに下を向く表情は今でも忘れられない。結局、この出来事が退職の決め手となった。