父の姿からサラリーマンとしての成功は「長く勤めて出世すること」だと信じていた。しかし、同僚と上司の言葉に常識が覆される――。30歳目前でサラリーマン生活に終止符を打ち、"どこでも生きていける"ための個人事業をスタート。現在は世界を旅しながら2児を育てる森翔吾氏の著書『すべては「旅」からはじまった 世界を回って辿り着いた豊かなローコストライフ』(KADOKAWA)より一部を抜粋・再編して、著者が退職を決意した理由を見ていきましょう。
「会社員のままじゃ暮らしていけない…」29歳男性が脱サラを決意した「年収600万円を稼いでも貯金は0円」絶望のシミュレーション
再就職は思いのほか上手くいき…
最初に就職した会社を辞めた後は、本を読んだり、ネットを見たり、深夜に散歩したりと、気ままに過ごしていた。数カ月が過ぎて財布が軽くなり、そろそろ働かなくてはと思いながら、当時付き合っていた彼女と秋葉原を散歩していると、求人広告が目に入った。
「時給1200円、ショップ店員募集中!」
2008年の話なので、時給1200円は決して悪くない給料だ。彼女に「応募してみたら!」と背中を押されて、勇気を振り絞って電話をかけると、面接に来てくれと言われた。
秋葉原のショップ店員になって何を売るのだろうと思っていると、USBで充電できる温まる手袋やカイロなど、主に中国から輸入したコンピュータ関連のおもしろグッズだった。
コンピュータの知識は自信があったが、ショップ店員になればお客さんと話すことになる。不安はあったが、電話応対は基本的にないと言われたので、(吃音でも)大丈夫だろうと腹を括り、時給に惹かれてアルバイトをすることにした。
半年後、履歴書のアピール欄に「特技:ホームページの制作」と書いておいたことが社長の目に留まったらしく、ホームページの制作チームに入らないかと誘われた。チームに入り半年頑張ると、今度は社員にならないかと誘われた。
ホームページ制作が軌道に乗ると、扱っている商品のPRサイトを一手に任せてもらえることになった。ラッキーだった。2003年に設立して右肩上がりで成長していた輸入販売を手掛けるその会社は、社員20名ほどの小さな会社だったが、40代の社長と若い社員ばかりで、フランクな社風だった。
髪がピンクでも黄色でもOKだったし、仕事が終わると会社の冷蔵庫に入っている缶ビールをプシュっと開けてみんなで飲み、休日は社用車を使って温泉に行くほど社員の仲もいい。仕事をしているというより、部活をしているような会社だった。勤務は10時~17時と短く、残業ゼロ。25歳で年収450万円ほどあったので、かなり恵まれていたと思う。
将来に暗雲。成長のための退職希望
お金もある、勤務時間も短いので自由に使える時間もある。そこで、自分の弱点である吃音を治す方法を探し、挫折した英会話に再挑戦することにした。しかし、吃音は発声練習をするだけで飛躍的に改善したが、英会話教室に通っても相変わらず英語は話せないままで、お金をドブに捨てているような状態だった。
やる気が出ない。仕事も比較的簡単にこなせるし、課題があるわけではない。ぬるま湯に浸かっているような状態で、自分は成長できるのだろうか? 10年後も20年後も同じ仕事をしてこのまま終わってしまうのではないか? そんな危機感があった。
お金と時間に余裕ができてアジアやニューヨークを旅行するようになり、刺激的な世界を知ったことも大きかった。せめて10年後には違う自分でいたい。未知の自分を見てみたい。そう思って、「会社を辞めたい」と社長に告げた。26歳のときだ。
ところが、社長はOKと言わなかった。アルバイトから正社員にしてもらい、得意分野の仕事を任せてもらえた恩もある。自分勝手な都合だけで辞めることはできないか……と、そのときは退職を断念した。