今では毎日の食卓に普通に並ぶ牛肉。ですが、実は歴史を振り返ると、「牛肉を食べること」は日本では長い間タブー視されてきました。その期間、なんと1200年にも及ぶというから驚きです。本記事では、2005年に本格的に焼肉にハマって以来、年間100店舗以上もの焼肉店を巡るだけでなく、生産現場にまで足を運び、牛や餌に関する知見を深め、肉の焼き方や部位の特性を独自に研究・分析する焼肉作家、小関尚紀氏の著書『知ればもっと美味しくなる!大人の「牛肉」教養』(三笠書房)より一部を抜粋・再編集して、日本人が牛肉を食べられなかった歴史背景について解説します。
昔の日本では「肉食」が禁止されていた
今からおよそ200万年前、西アジアに生息していたオーロックスという動物が、現在の牛のルーツだとされています。
フランス南西部のラスコー洞窟には、1万5000年も前に描かれたとされる壁画があり、そこには人々がオーロックスを狩猟している様子が鮮明に残されています。つまり、人類はすでにその遠い昔から、牛肉を食料としていたのです。
しかし、そこから今日のように、日本で牛肉が日常的に食べられるようになるまでには、じつに波瀾万丈の歴史がありました。
まさかの「お肉禁止令」が発令!
日本に牛肉を食べる文化が伝わった時期には諸説ありますが、4世紀末から5世紀頃(古墳時代)だとする説が有力です。この頃、朝鮮半島からの渡来人が牛を日本に連れてきた際、牛肉を食べる習慣も持ち込んだと考えられています。
その後、牛は農耕や運搬などのための労働力として、また乳や皮を利用するための家畜として、日本全国で広く飼われるようになりました。
特に飛鳥時代や奈良時代には、牛の利用が広まります。実際、牛乳を固めて作った「蘇(そ)」(現代のチーズのようなもの)や、天皇の靴の材料となる牛の皮が、現在の兵庫県北部にあたる但馬国から朝廷へ納められていた記録も残っています。このように、牛は庶民にとっても貴族にとっても、身近な存在になっていったのです。
しかし、不思議なことに、この頃から牛肉を「食べる」文化は次第に薄れていきました。一体なぜでしょうか?
その大きな理由は、仏教の影響によるものです。
時は飛鳥時代。538年に朝鮮半島から日本に伝来した仏教には、「殺生禁断」という生き物を殺すことを禁じる教えがありました。生き物を殺生すると、罰(バチ)が当たると考えられていたのです。
この教えにもとづき、675年に天武天皇が牛や馬、犬や鶏、猿の肉などを食べることを禁止する法令「肉食禁止の詔(みことのり)」を出しました。
これが日本で初めて出された「お肉禁止令」だとされており、その後も時代によってたびたび発令され、日本の食卓から牛肉が遠ざかる大きなきっかけになりました。
天武天皇は、仏教の教えを忠実に守ったのです……。