今では毎日の食卓に普通に並ぶ牛肉。ですが、実は歴史を振り返ると、「牛肉を食べること」は日本では長い間タブー視されてきました。その期間、なんと1200年にも及ぶというから驚きです。本記事では、2005年に本格的に焼肉にハマって以来、年間100店舗以上もの焼肉店を巡るだけでなく、生産現場にまで足を運び、牛や餌に関する知見を深め、肉の焼き方や部位の特性を独自に研究・分析する焼肉作家、小関尚紀氏の著書『知ればもっと美味しくなる!大人の「牛肉」教養』(三笠書房)より一部を抜粋・再編集して、日本人が牛肉を食べられなかった歴史背景について解説します。
天武天皇が肉食を禁じた「本当の目的」
……というのは、じつは建前。この肉食禁止令には、なんとも不思議なルールがありました。それは、4月から9月までを適用期間としていたことです。
つまり「春から夏は肉を食べたらダメだけど、秋や冬は食べてもいいよ」という、厳しいのやら緩いのやら、よくわからない取り決めだったのです。
勘のいいあなたなら、ピンときたかもしれません。4月から9月という期間は、田植えや収穫など、農作業が最も忙しくなる農繁期に当たります。つまり、天武天皇は、この時期の肉食を抑えることで、農作業を順調に進め、農業を中心とした国家体制をしっかりと築き上げようとしたのです。
仏教の「殺生禁断」という思想をうまく利用し、弥生時代から受け継がれてきた日本の農耕の歴史を守ったわけですね。
肉食は1200年間も禁止されていた!?
さらに、天武天皇の「肉食禁止令」には、もう一つの思惑があったと考えられています。それは「人間にとって役に立つ動物を食べるのは非効率だ」という実用的な考えです。
当時の牛は田畑を耕す耕運機として、馬は軍用や通信の手段として、犬は番犬や鷹狩(たかがり)のパートナーとして、それぞれ人々の生活に欠かせない存在でした。貴重な労働力としての動物を食料として消費することは、当時の社会にとって大きな損失だと、天武天皇は考えたのです。
このように、肉食禁止令の背景には、単なる仏教の教えだけでなく、国家運営における現実的な判断も深く関わっていました。
そして、この肉食禁止令によって、「牛肉を食べること」は日本では長い間タブー視されてきました。その期間、なんと1200年! お肉が当たり前のように食卓に並ぶ現代の私たちには、考えられないような歴史ですよね。明治時代初期の「文明開化」が訪れるまで、庶民にとって肉食の扉は固く閉ざされることになってしまいました。
しかし、禁じられたとはいえ、完全に牛肉が姿を消したわけではありません。歴史の裏側では、一部の地域や特定の階級の人々の間で、こっそりと肉が食べられていたようです。まあ、牛肉は美味しいですから、仕方ないですね。
小関尚紀