新しい用務員さんは「元校長」

「あれ、あの人……もしかして元校長じゃない?」

公立中学校の用務員として新たに配属された大倉敏夫さん(仮名/69歳)は、「あぁ、もうバレたか……」と苦笑い。

実は敏夫さん、9年前までこの学校で校長を務めていた人物です。

いったいなぜ元校長が用務員として学校に舞い戻ったのか、そこにはとある事情がありました。

元校長が母校に舞い戻った理由

9年前、敏夫さんは校長職で定年退職を迎えます。退職金は2,500万円。再雇用に応じることなく、きっぱり仕事を辞めました。なぜなら、退職金のほかに預金が3,000万円あり、住宅ローンも完済し、子ども2人もすでに独立していたからです。

「もう、そんなにあくせく働く必要もないだろう」と大倉夫妻は考えました。

敏夫さんの年金は月あたり24万円ほどで、65歳から受給する予定でした。大倉さんの妻は5歳年上であるためすでに年金を受給していましたが、第3号被保険者期間が長かった分、月額8万円の年金です。

そのため、敏夫さんが65歳になるまでの生活費の不足分は、預金を取り崩すしかありませんでした。

“自分へのご褒美”がエスカレート

「やりたいこと、全部やろう!」

敏夫さんの退職後、夫婦はまず海外旅行を計画。世界の主要都市をめぐる1ヵ月間のクルーズで、約300万円使いました。その次は車です。敏夫さんが若い頃から「いずれは乗ってみたい」と憧れていた車を約800万円で衝動買いしました。

その後も、夫婦でゴルフクラブ一式を揃えたり、頻繁に温泉旅行をしたりと、惜しみなく大金をつぎ込みます。そのたび自分に言い聞かせていたのは「38年間頑張ってきたんだ。これくらいのご褒美は当然」という言葉です。

さらに、普段の生活も節約とは無縁。その結果、退職時には5,500万円あった預金が5年で約3,000万円まで減っていたのでした。

敏夫さんが年金をもらい始めた65歳以降、預金の取り崩しスピードは鈍化したものの、一度上げた生活レベルを下げるのは簡単ではありません。

そして敏夫さんが69歳になるころ、とうとう再就職を決心しました。とはいえ、教員以外の経験がない敏夫さんは身体を使った仕事を探すしかありません。それならば慣れ親しんだ場所で働こうと、学校の用務員の職を選んだのでした。

元校長という立場を考えれば気後れする部分もありましたが、退職から約10年が経過しており、教職員と直に話す機会も限られているため、黙っていれば誰も気づかないだろうと考えたそうです。

ところが、仕事を始めてわずか2週間で正体がバレてしまいました。もっとも、悪いことをしているわけではなく、むしろやりがいも感じ始めていたので、開き直って堂々と仕事に勤しんでいます。

それどころか、あわよくば「いずれは自分の浅はかな行動を後進に伝えて反面教師にしてもらいたい」とまで考えているそうです。