日本を形づくる中枢都市のひとつ・「大阪」。地名を聞いて災害を連想する人は少ないかもしれませんが、地理や歴史からみると大阪にも危険な場所があります。実は大阪は過去なんども水害に見舞われていた「水害の街」でもあるのです。今回は、『47都道府県の怖い地理大全』(彩図社)より一部を抜粋し、「大阪」の意外な一面と、人命を奪う水害の恐ろしさについて紹介します。
(※写真はイメージです/PIXTA)
【地名の由来】大阪・放出(はなてん)が示唆する“天下の台所”に隠された「もうひとつの歴史」
100年前には”人柱”で鎮めた水害も
大阪府高槻市を流れる淀川の支流・芥川。芥の意味は「塵芥」。直訳すると「くずが溜まる川」となる。
名前の由来は定かではないが、鎌倉から室町時代の国人芥河氏の名によるとする説、阿久刀川が転じたとする説、さらには洪水との関係を示す説もある。
昔は川に、ゴミを流していた。ゴミが川底に溜まると川が浅くなるので、大雨時は危険な洪水が起こりやすくなる。実際、芥川では近代にも、人命が失われる事件が起きている。
1935年6月、芥川が流れる一帯を集中豪雨が襲った。翌日には川が氾濫寸前となり、阿久刀神社一帯が水没の危機に見舞われた。高槻町(現高槻市)は陸軍に協力を要請。工兵第4大隊が護岸工事に駆けつけたが、作業中に上等兵が濁流に飲み込まれた。
するとそのすぐあと、上流付近の堤防が決壊して水流が変わり、神社は水没を免れた。地元住民は「兵隊が人柱になってくれた」と感謝を示したという。その魂を弔うために当時の町長が建てたのが、桜堤の慰霊碑である。
地形ミステリー研究会
オフィステイクオー