100年前には”人柱”で鎮めた水害も

大阪府高槻市を流れる淀川の支流・芥川。芥の意味は「塵芥」。直訳すると「くずが溜まる川」となる。

名前の由来は定かではないが、鎌倉から室町時代の国人芥河氏の名によるとする説、阿久刀川が転じたとする説、さらには洪水との関係を示す説もある。

昔は川に、ゴミを流していた。ゴミが川底に溜まると川が浅くなるので、大雨時は危険な洪水が起こりやすくなる。実際、芥川では近代にも、人命が失われる事件が起きている。

1935年6月、芥川が流れる一帯を集中豪雨が襲った。翌日には川が氾濫寸前となり、阿久刀神社一帯が水没の危機に見舞われた。高槻町(現高槻市)は陸軍に協力を要請。工兵第4大隊が護岸工事に駆けつけたが、作業中に上等兵が濁流に飲み込まれた。

するとそのすぐあと、上流付近の堤防が決壊して水流が変わり、神社は水没を免れた。地元住民は「兵隊が人柱になってくれた」と感謝を示したという。その魂を弔うために当時の町長が建てたのが、桜堤の慰霊碑である。

地形ミステリー研究会
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