外資系企業で働くエリートサラリーマン、華やかなキャリアの落とし穴

木村浩二さん(仮名・54歳)は、外資系製薬会社でマーケティング部門の管理職を務めていました。年収は1,500万円。都内のタワーマンションに妻と二人で暮らし、スーツや靴はすべてオーダーメイド。朝8時には必ずスーツ姿で家を出る……。そんな“できる男”の象徴のような日常を送っていました。

キャリアの集大成ともいえるポジションにあり、木村さんは「今の稼ぎであれば、老後も安泰だ」と信じて疑いませんでした。ところが、ある日突然、その安泰は崩れ去ります。本国の決定により、日本法人のマーケティング部門が縮小され、木村さんは早期退職の対象となったのです。

外資系のため終身雇用というカルチャーはそもそもありませんでしたが、それでも、現役生活の終わりが見え始めた段階でこんなことになるとは考えてもいなかったといいます。この事実は木村さんにとっては大きな衝撃でしたが、妻にはその事実を伝えることができませんでした。

「自分ほどのキャリアなら、すぐ次の仕事も見つかる」と楽観的に考えていた木村さんは、結局妻に何も告げないまま退職の日を迎えます。しかし、現実は想像以上に厳しいものでした。50代半ばという年齢、そして1,500万円という高年収が転職市場では大きな壁となり、応募しても書類選考すら通らない日々が続きました。

転職エージェントからは「年収を半分程度に下げないと難しい」と助言されましたが、木村さんにはその決断ができませんでした。家計の通帳管理はすべて木村さんが担っていたこともあり、妻に退職の事実を明かすことができないままでした。

「もう会社に行っていない……」

そう打ち明ける勇気がどうしても出ず、木村さんは出勤するふりを続けています。毎朝スーツを着て家を出たあとに向かうのは、家から少し離れたカフェ。コーヒーを一杯飲んだあと、求人サイトを必死に検索しながら履歴書やレジュメを送り続ける日が続きました。

失業給付(雇用保険の基本手当)の申請は、会社から離職票を交付されたのち、 ハローワークで行いました。手続き当初は、「失業給付を受取る前に、すぐに次の就職先は決まるだろう」と安易に考えていました。現実はそう甘くはありませんでした。

高収入である木村さんの場合、基本手当額の上限が支給されます。しかし、自己都合退職とみなされたため、給付日数は120日(被保険者の期間10年以上20年未満の場合)に限られ、総額はおおよそ100万円程度。木村さんの生活水準を考えると、その金額ではすぐに生活資金が尽きてしまう状況でした。

さらに、住宅ローンや大学生の子どもの学費、高級マンションの維持費など、毎月の固定費は容赦なくのしかかります。貯蓄はみるみる減っていき、木村さんの心には、これからの生活への不安が大きくのしかかっていました。