“最期まで自宅派”vs.“いますぐ施設派”…最終的には夫が根負け

――これが老人ホームなのか?

一則さんが妻に連れられ渋々訪れたその施設は、清潔感があり日当たりもよく、なんとなくイメージしていた「老人ホーム」とは似て非なるものでした。

また食事についても、予約すれば食堂で食事が取れるうえ、キッチンでの自炊も可能。外出や外食も自由とあって、妻はすっかり魅力を感じたようです。

一方の一則さんも、その施設に惹かれていないわけではありません。しかし、長い間苦労して支払ったローンのこともあり、「最期は自宅で」というこだわりが捨てきれず、住み替えには後ろ向きでした。

見学を終え帰宅した2人は「すぐにでも住みたい」と考える清子さんと「80代になってからでも遅くない」と考える一則さんとのあいだで意見が対立。何度か喧嘩に発展することもありました。

それでも、清子さんは諦めずにコツコツ資金を貯め、情報収集を行い、夫を説得。そして、いくつかの施設を見学したのち、一則さんが73歳、清子さんが70歳のとき、ついに一則さんが折れたことで、自宅を売却してとある高齢者住宅へ入居しました。

「根負けというか、ここまで妻が望むのであればそれもいいかなと思えたのが最終的な決断でした」

いざ入居してみると、夫婦で元気に暮らしている入居者は少なく、周囲は介護が必要な単身者が中心のようです。

「ほら、やっぱりおれたちには早すぎただろう」と一則さん。しかし……。

入居から1年後…田中夫妻を襲った悲劇

高齢者施設に入居してから1年ほど経ったある日のこと。清子さんが突然倒れ、そのまま還らぬ人となりました。

愛する妻を亡くし悲しみに暮れる一則さん。ただ、しばらく経って清子さんが住み替えを熱望していた「ほんとうの狙い」に気づきます。

「清子は、私が食事も掃除もすべて彼女任せで、私ひとりでは自宅で暮らせないことをわかっていたのでしょう。施設には食堂もあるし、早めに入居していたおかげで頼れる仲間もたくさんいます。いま快適に毎日が過ごせるのは、妻のおかげです。妻には未来が見えていたんでしょうね。感謝してもしきれません」

一則さんは涙ながらにそう話してくれました。