私たちが何の気なしに使っている「正社員」「非正規」といった言葉。しかし、いったい誰が決めた「正」なのだろうか。本記事では、長年非正規雇用で働きながら社会問題について発信してきた文筆家・栗田隆子氏の著書『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)を一部抜粋し、「正」の概念がもたらす見えない分断について考えていく。
正しくない?一人前じゃない?自分に合った働き方なのに――「非正規雇用」という言葉にまとわりつく〈疎外感〉の正体
正社員・パート・専業主婦――女性たちの見えない分断線
多くの人が指摘しているように1985年にほぼ同時に成立した「男女雇用機会均等法」「労働者派遣法」「第3号被保険者」という制度によって、それぞれごく僅かな「男性並みに働く女性」、「派遣労働者」あるいは「有期契約で働く女性労働者」、第2号被保険者(実質サラリーマンの夫)を補助する専業主婦たる「第3号被保険者」といった女性像を作り上げ、女性同士もまた制度的に分断されていった。もちろんこれは大まかなイメージであり、女性同士の分断はさらに巧妙に作られている。
私の母親は80年代、それこそフルタイムパートとして某大手企業で設計図を描く仕事をしていた。その頃彼女がこんなことを話してくれた記憶がある。「正社員の女性たちが、私たちの仕事を羨ましがる。手に職があって、やりがいがある仕事で羨ましいと言われる。正社員の女性たちは二年もやればもうその職場にいられなくなるから」。またあるいは「正社員の男性と一緒に仕事を長くするのは私たち(フルタイムパート)で、正社員の女性たちはコピーしたり、お茶を汲んだり、雑用ばかり。やっぱり手に職をつけないと」
なにぶん小学生だったので母の言わんとしている意味はほとんどわかっていなかった。わからないことを覚えているのは私の性分かもしれないが、こんなことを小学生相手に話す母も母である。だが私の労働への疑惑の原点にもなってくれているので、今は感謝してはいる。
……と、話が逸れたが、この話から垣間見える企業の巧妙なやり方を指摘したい。多くの女性正社員の雇用(男女雇用機会均等法以降は「一般職」と呼ばれる)は、給与はそこそこでも、その女性たちの担う仕事はいわゆる「やりがい」を感じられず、数年で辞めても問題ない。なんならそこに勤める「正社員」の男性と結婚すれば、年金制度的にもよし、といった扱いだった。
他方で既婚女性のフルタイムパート労働者にはやりがいのある仕事を与える代わりに、月給が二十万に届くことは決してなかった。男女の分断の手前にまず女性間での巧妙な待遇の違いを示すことで、いわゆる「総合職」の正社員の枠組みにまで疑念を抱かせないようにする……そんな手口に思える。
正社員間にも「総合職」「一般職」の違いをつけ、さらに女性正社員とフルタイムパート労働者のどちらも条件が十全でなく「酸っぱいまんじゅうか辛いまんじゅうのどちらかを選べ」みたいな選択にする。
そしてその「正社員」の働き方を支えているのは「専業主婦」と呼ばれる女性の存在だ。この専業主婦の立場も、この資本主義社会の中で「稼働能力のない存在」としてとかくバッシングの対象となる。だがそこに、第3号被保険者や税控除だのの制度によって「メリット」を与え声を上げにくくする。そうした専業主婦の人たちの多くは正社員でも軽視される経験をしてきた女性だったかもしれない。そうであれば仕事に活路を見出すビジョンも見つけられないだろう。
何という巧妙な分断だろう。女性の分断とはいわば「正規労働」の「正」概念に疑念を抱かせないための罠だったのではなかろうか。
栗田 隆子
文筆家