社会の維持や人々の生活に欠かせない、必要不可欠な仕事を指す「エッセンシャルワーク」だが、大衆が必要とするサービスほど人件費が削減される現実は果たして「正しい」のか。本記事では、長年非正規雇用で働きながら社会問題について発信してきた文筆家・栗田隆子氏の著書『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)を一部抜粋し、エッセンシャルワークと人件費の矛盾に迫る。

激務、低賃金、非正規労働…みんなが必要としているのに、なぜ軽んじられる?「エッセンシャルワーカー」と「人件費」の矛盾
みんなが必要としているサービスは人件費が安くなる?
「いわゆるエッセンシャルワークは全ての人にとって必要な仕事であるからこそ、人件費が安くなると私は思うのですが、栗田先生はどのようにお考えになりますか?」
五十路を目の前にした私などより、よほど落ち着いた物腰の学生から質問を受けた。大学講師をしている知人から女性の労働問題について語ってほしいという依頼があり、ある大学でゲスト講師をしたときのことである。
私の授業なので、女性の労働問題といってもキャリアアップとか仕事と家事の両立といったワークライフバランスの話になるわけがない。
女性が多い職種がおしなべて低賃金であること。コロナ禍では社会維持に必要という公衆衛生的観点から「エッセンシャルワーク」と呼ばれるようにもなった医療の仕事は、激務ゆえの圧倒的な人手不足なこと。(私が高校時代に病院で看護助手の仕事をしていた時代からとりわけ看護師は人手不足なのだが)また衛生商品や食料を販売するドラッグストアやスーパーマーケットなどのスタッフ、介護、保育などの仕事も生活には不可欠であることが浮き彫りになったこと。それなのに、激務+低賃金でかつ非正規労働が多いことも語った。
「生きる上で絶対に必要な仕事に対して〝誰にでもできる〟などとみなされ、低賃金で働かされているのは解せない。そもそも誰にでもできる仕事などないし、ましてや世の中で不可欠な仕事の価値を低く見積もる社会はおかしい。これらの仕事について時給千五百円を目指すという運動があるが、たとえ達成されたとしても、年収で換算すればわかるように、決して高収入になるわけではない。いわゆる男性並みの働き方を目指す前に、このような労働のありようこそ問うべきだ」と伝えたことに対して、冒頭の質問が私に向けられたのである。
「先生」という慣れない呼称に若干の居心地の悪さを覚えつつ、「1968年にニューヨークで起こったゴミ回収業者によるストライキに対して、当局はスト十日目に音を上げ、労働者側は待遇改善を勝ち取った」(注1)という話を引用し、「もちろん、ただ黙っているだけでは、残念ながらエッセンシャルワーカーの賃金が良くなることはないでしょう。しかしカリフォルニア州でも、最低賃金十五ドルを求める運動を二十年近くかけて実現させました。さまざまな抵抗や交渉を試み、続けることで未来を変えることはできるはずです」と回答をした。
(注1)1968年2月2日からニューヨークで行われたゴミ回収業者のストライキは九日間に及び、「私たちはゴミを扱っているが、私たちはゴミではない」という主張のもと、さまざまな妨害を受けながらも待遇改善を勝ち取った。その後ゴミ回収業者のストライキはメンフィスではアフリカ系の人々を中心に、さらにボルチモア、ワシントンD .C .、アトランタやマイアミなどにも広がった。
MUNDO OBRERO WORKERS WORLD “Sanitation workers’ strike 1968 — solidarity and resistance”(一九六八年のゴミ収集作業員のストライキ――連帯と抵抗)
https://www.workers.org/2018/02/35662/(英語サイト)